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フリードリヒ二世とマリアテレジアってなんであんなに敵対したのですか?? だ...

みるくこーひーさん

2011/8/1722:57:33

フリードリヒ二世とマリアテレジアってなんであんなに敵対したのですか??

だって最初は結婚の可能性もあったわけですよね( ;´Д`)

結婚できなかった恨みもちょっとあるからなのでしょ

うか??

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fio********さん

2011/8/1723:46:47

やはり、プロイセンがオーストリア継承戦争をしかけシュレジェンを奪取したことがもとでしょう。

マリア・テレジアの父、カール6世が諸侯に手続きを踏んで相続を承認されたと思ったとたん、いきなり宣戦布告したマキャべりストぶりはかえって小気味良いくらいです。
そもそもプロイセン王位継承が危なかったときに、後見してくれたカール6世の希望を踏みにじるフリードリヒ2世の行動は、人情より国の利益を優先した近代国家そのものでした。

マリア・テレジアも、後のポーランド分割では、正義よりも国家を優先する判断をしています。

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pitsanulok01さん

2011/8/1823:55:26

プロイセン王国の宿願は「ドイツの統一」であり、マリアテレジアのオーストリアと戦うにしろ、結婚するにしろ、目的はドイツ統一の手段としてだったのです。

というのも、オーストリアも実はドイツ人の国だからです。オーストリアと協力して(この場合はマリアテレジアと結婚して)ドイツを統一しようという考えを「大ドイツ主義」といい、オーストリアを排除してそれ以外のドイツを統一しようという考えを「小ドイツ主義」といいました。

結局、オーストリアが「ドイツ人の国」ではなく、ハンガリーなど他の民族も合わせて多民族国家になる道を選んだため、プロイセンは小ドイツ主義の考え方にしたがってオーストリアと戦い、オーストリアの影響下にあった他のドイツ系小邦を統一して最終的にはドイツ帝国を建設するのです。

usa********さん

2011/8/1810:31:42

>結婚できなかった恨み

ある意味ではそうかもしれません。
プロイセンからの結婚の打診をオーストリアはにべもなく拒絶しています。
そもそもヨーロッパ随一とも言われる名門ハプスブルク家の次代当主となるべきテレジアに、ポッと出の新興国プロイセンの王族が結婚出来るはずもなかったのです。
恋愛感情云々ではなく、結婚の打診について鼻で笑って相手にしなかったオーストリアに対する対抗意識が生まれた可能性があります。

またフリードリヒの根底にあるのは父親への対抗意識でした。
幼少期より父と反目していたフリードリヒは親友と家出する計画を立てますが父に露見し、親友が処刑されるところを見る羽目になります。
(王太子であるフリードリヒを国外に連れ出そうとしていたとして、反逆罪扱いになったため)
父親が嫌いなフリードリヒが王位を継いだ時、目を付けたのは父が大事に作り上げた軍隊。
父は軍隊を育て上げるのは好きでしたが、その軍が戦争で失われることを嫌って戦争をしなかった人物です。
そこでフリードリヒはこの鍛え上げられた軍隊を「実戦で使う」ために戦争を起こしました。
父が嫌っている事をわざとやったわけです。
とはいえ消耗するだけの戦争をするわけにもいかないので、国益になる場所を選んで攻め込みました。
それがオーストリアの穀倉地帯であり鉱物資源が豊富で流通の要所でもあるシュレジェン。
歴史と伝統と名門という肩書にあぐらをかいているオーストリアの鼻をあかしてやるにも持ってこい。
特にその時期は大公位を継いだテレジアに反感を持つ他国を巻き込みやすいという条件がそろっていました。
プロイセンも1国でオーストリア(神聖ローマ帝国)と対立するほどの力があるわけではないのです。

テレジアにしてみればプロイセンとその王フリードリヒは、父カール6世との約束を違えた卑怯者でシュレジェンを奪った盗人でしかありません。
それでいて軍の強さや他国との外交手腕は無視できない存在です。
腹を立てたテレジアは、フランス(ポンパドゥール夫人)&ロシア(エリザベータ女帝)と手を組みプロイセンを囲い込みます。3人の女性にちなんで三枚のペチコートなんて呼ばれます。
普通の女性ならば、攻め込まれて領土を奪われて自国の軍がたいして役に立たなかったなんてことになったら泣き寝入りするでしょう。
しかしテレジアは自国の軍隊を鍛え直したあげく外交戦略で対プロイセン政策を推し進めます。
ただでさえ女性嫌いのフリードリヒは、ますます女嫌いに拍車がかかる。

二人とも君主としての統治能力が高くカリスマ性があり不屈の人物であったことからライバル関係が続いたと思われます。
要するに、似た者同士だったのかもしれません。

gkt********さん

2011/8/1809:29:55

結婚の可能性といっても王族は政略結婚が基本なので好きだから求婚したとは限らないし、マリア・テレジアがハプスブルク家の継承者だったから求婚しただけに思えますね。
それにマリア・テレジアは初恋の男性と恋愛結婚するという王族にしては珍しく幸福な結婚をしているのでフリードリヒ二世ははっきりいって眼中にないと思う。
仮にフリードリヒ二世がマリア・テレジアに恋をしていたとしても王族の結婚に自由などないため恨む理由もない。
マリア・テレジアが恋愛結婚できたのだってたまたま好きな人が父親にお気に入りで、結婚するのに都合の良い身分だったからだし。
敵対した理由はフリードリヒ二世がシュレジエンを欲しがって戦争を仕掛けてきたためです。
自分のものを奪われて平気でいる人はいませんし、マリア・テレジアは軍隊が弱いため「シュレジエンだけなら諦めよう」と主張した家臣たちと違い、「奪われたら取り戻す」と戦争を続けた人です。
フリードリヒ二世にしてみれば弱いくせにしつこいオーストリア軍は邪魔なので個人の感情抜きに(個人的には良い感情を持っていたらしい)「なんだ、あの女」ということになるから、それを聞いたマリア・テレジアはもっと怒る。
仲良くするためには「ごめんなさい」とシュレジエンを返せばいいけど、負けたわけじゃないからそんなことしません。

met********さん

2011/8/1800:30:56

マリアテレジアは若いころ才色兼備で有名でした。
プロイセンのフリードリッヒ二世はマリア=テレジアに惚れていました。
結婚を申し込んだのですが、振られてしまいました。

マリア=テレジアはロートリンゲン公子フランツシュテファンに恋していたのです。

このあたりの話は手塚治虫の「リボンの騎士」に反映されています。男しか王位につけない国の王女サファイアは「フランツ」という他国の王子に恋しています。

ハプスブルク家は大した戦争もせずに、政略結婚だけで日の沈まぬ大帝国を築いた家柄です。本来だとプロイセン王家と縁組し、自然にプロイセンを併合してしまうところですが、娘に甘い父帝カール6世はフランツとの恋愛結婚を認めました。

振られたフリードリッヒ二世の残りの人生はマリアテレジアへの復讐にささげられました。

abc********さん

2011/8/1723:52:52

凄く簡単に…
オーストリアハプスブルク家が神聖ローマ皇帝を世襲してたのですが、マリア=テレジアは女だったので、バイエルンなんかが反対したんですね。それにプロイセンが便乗。で、プロイセン=オーストリア戦争に突入。プロイセンは資源豊かなシュレジエンをぶん取る。もうお互いがだいっきらいになったんです。結局皇帝には夫フランツが即位しましたしね。テレジアからしてみれば余計なお節介を!ってとこでしょうか?

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