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安井かずみに興味があります。リアルタイムをほぼ知らないし物心付いたころ肺がん...

rop********さん

2011/10/1617:12:52

安井かずみに興味があります。リアルタイムをほぼ知らないし物心付いたころ肺がんで亡くなってしまいました。

なにかいい読み物や資料ってありますか?
ジュリーも秀樹もスーパースターとなるきっかけになった作詞家でもあるような…

そして、あの加賀まりこが大親友となるとかなりの個性派だったかと?個性派同士だから大親友と認めあえるような気もします。うまく書けませんが彼女が輝いた時代背景などを織り混ぜながら…解答頂ければと思います。

補足加賀まりことの関係はどうなんでしょうか?Wikipediaでは俺も調べるには調べてます。

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ベストアンサーに選ばれた回答

ニーナさん

2011/10/1701:44:11

安井かずみさんは、以下の書籍を遺されています。

空にいちばん近い悲しみ 1970年
空にかいたしあわせ 1971年
私のなかの愛 1972年
愛のめぐり逢い 1974年
TOKYO人形 1975年
大恋愛 1976年
愛―それから先のことは 1977年
キッチン&ベッド 1977年
エイプリル組曲― 1978年
おんなの遊び編集室 1979年
こだわり派女性感覚―いつのまにかレディ 1982年
私生活―私を変えた45章 1982年
安井かずみの作詞教室 1984年
ワーキングカップル事情 1984年
自由という名の服を着た女 1984年
女の生きごこち見つけましょ―今日が人生そのものよ1986年
ニューヨーク・レストラン狂時代 1987年
女の楽しい結婚方法(バイブル)―その愛、仕事、生き方…1988年
女の素敵な生き方の選択(チョイス)―恋も仕事も旅もする1989年
安井かずみのおしゃれ泥棒 1990年
ヨーロッパ・レストラン新時代 1990年
30歳で生まれ変わる本―本当の大人になるために 1990年
女は今、華麗に生きたい―もっと真剣(シリアス)に、もっと積極的(アクティブ)に 1990年
カリフォルニア・レストラン夢時代 1991年
贅沢に、美しく大人の女―自分をもっと豊かに生きる 1991年
スカーレット・オハラのように生きてみませんか 1992年
愛、経験してますか?―自分らしく、しっかり、幸せ 1993年
人生の歩き方―あなたは、どう生きたいか? 1993年
安井かずみの旅の手帖―私を変えたとびきりの出会い 1994年
ありがとう!愛―ガン告知・夫婦愛・信仰 心の軌跡を綴る最後の日記 1994年
愛の詩(うた)―安井かずみ作品集 1994年
自分を愛するこだわりレッスン―女の人生を豊かに楽しむために 1995年

中でも、エッセイ『安井かずみの旅の手帖―私を変えたとびきりの出会い 1994年』と『愛の詩(うた)―安井かずみ作品集 1994年』は、良いと思います。
前者は、安井さんが「永遠の旅」(天国)に出る直前までペンを入れて書かれていた、ご本人最後のエッセイ集です。生きることに対するさまざまな想いが寄せ集められていることでしょう。
後者は、題名の通り、安井かずみさんの詩集です。1965年の「おしゃべりな真珠」から、1991年の「マグノリア館」まで、「わたしの城下町」「草原の輝き」「危険なふたり」などのヒット曲を含めた、男女の風景をおしゃれに描いた安井さんの作品集です。
おそらくは図書館に置いてあると思います。



ジュリーがアイドルの域を超えた「スーパースター」となったきっかけは、作詞家・阿久悠さんとの出会いです。

阿久さんは、タイガース時代からジュリーに注目されていたのです。
ジュリーの美貌と誰にもできない妖艶かつ色気ある表現力を買った阿久さんは、1975年当時人気アイドル歌手だった沢田研二・ジュリーに、周囲の反対を押し切って詞・「時の過ぎゆくままに」を提供されました。
この曲は贅沢にも、6人の売れっ子作曲家で曲を競い合ったのです。中から大野克夫さんの曲が選ばれました。
この曲はドラマ「悪魔のようなあいつ」の主題歌としても使われ、ミリオンに近いヒットを記録。
以降阿久さんは、ジュリーにしか表現できない男のダンディズムや男女の悲しい恋を詞に描き、ジュリーに数々の詞の表現を託されました。ここから作詞家阿久悠さんと作曲家大野さんのコンビで、ヒット曲を数多く生み出すことになったのです。
早川タケジさんの衣装デザインによる大胆なコスチュームによりビジュアルまでも売りにし、70年代後半からはアイドルの域を超え、スーパースターと呼ばれるようになったのです。

ちなみに、スーパースターはジュリーただ一人だけです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E7%94%B0%E7%A0%94%E4%BA%8C



安井さんは、大変個性的な方です。
以下、ウィキペディアから少々引用させていただきます。

海外旅行がめずらしかった当時、世界中を旅をして、貴族や有名人と優雅な生活を送った。
1967年、ローマにて青年実業家と結婚するも、翌年ニューヨークにて離婚。1969年からパリに暮らし、1971年に帰国。
1970年代、安井の自宅は「川口アパート(プール付き)」と呼ばれ、親友加賀まりこ、野際陽子、コシノジュンコ、かまやつひろし、吉田拓郎、金子国義や当時のトップモデルなど多くの業界人が集った。豪快な車の運転も有名で、酔っ払ってフェラーリをぶつけ「いいの、次はペダルカーに乗るから」と言ったという逸話もある。
親友加賀まりことともにレストラン『キャンティ』常連組の一人。また、小説家の森瑶子とも親交が厚かった。
1977年には、安井より8歳年下でミュージシャンの加藤和彦と再婚。優雅なライフスタイルで公私ともに行動を共にし、憧れの夫婦として支持された。


60年代70年代の高度経済成長期の最中、何とも個性派であり贅沢で優雅な生活を送られていたんですね…
これだけの業界人や有名人達と交流されているような、大変社交的な生活スタイルは、私には想像がつきません。

ズズは永遠の作詞家です。

質問した人からのコメント

2011/10/18 16:09:31

成功 加賀まりこのことをもっと知りたかったですが加賀まりこ本人も棺桶まで持っていくだろうし…ジュリーなんすかね…リアルタイムを知らない世代、色でいえばジュリーですが…秀樹も俺嫌いじゃないんすよ
秀樹よりジュリー派にしてほしい…なんかいい資料を探してみます。
ご両人様ありがとうございました

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

midoriさん

編集あり2011/10/1815:50:10

当時、沢田研二さんのために作った「危険なふたり」は
ジュリーのことが好きで、自分で言えなくて、歌に託したと加瀬さんが、話していました。
私は、てっきり前夫人のことだと、思っていました。
本当は違っていたのですね。
かずみさんが亡くなった1994年、ジュリーは全曲かずみさん作詞の
「ZuZuSONGS]として、コンサートをしています。
DVDもありますよ。

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