ここから本文です

薩長密約同盟が結ばれた経緯について

tda********さん

2012/1/2016:11:22

薩長密約同盟が結ばれた経緯について

薩長密約同盟が結ばれた経緯について歴史に詳しい方、詳しく回答お願いいたします。

閲覧数:
918
回答数:
3
お礼:
25枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

kas********さん

編集あり2012/1/2020:44:05

幕府に対抗するため
藩の垣根を越えた全国規模の勤皇勢力の大結集というアイデアは
すでに吉田松陰や清河八郎の時点でありました。

その中でも薩摩・長州の手を結ばせようとするいわゆる薩長同盟の構想は
1864年の第一次長州征討から実現に向けて動き始めます。
この時、総督徳川慶勝(尾張藩)、参謀西郷隆盛(薩摩藩)をはじめ、
幕府軍幹部が早期撤兵の方針に傾いていたことから
筑前勤皇党(筑前藩)と当時長州藩の忠勇隊に参加していた中岡慎太郎の仲介で
下関に密行した西郷隆盛と長州藩幹部(一説には高杉晋作も出席したとも)の間で
長府対帆楼の薩長秘密会談が実現します。
ここから薩長間の交渉が始まり、約一年後、同盟の密約が結ばれるのです。

海軍操練所が閉鎖されてしまい
坂本龍馬が薩摩藩の世話になるのは時系列的に考えてもこの後なのですが、
同盟成立の場に立会人として居合わせたのが彼だったため
まるで真っ先に薩長同盟のアイデアを思いついて
全てが彼の手柄だったように語られています。

質問した人からのコメント

2012/1/23 22:02:42

ご回答ありがとうございました。知りたかった内容が一番わかりやすかったのでこちらの回答を選ばせて頂きました。

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

om1********さん

2012/1/2020:17:23

薩長密約同盟の実際の経緯について分かる人はいません。

薩摩藩と長州藩との公式な同盟はなかったと考えられます。
薩摩藩の小松・西郷らや長州藩の桂らとが密談し密約はあったと考えられますが、その最初の時期・詳しい内容等はわかりません。

なぜ分からないか推測になりますが、
・現在でも企業の合併等が事前にもれたら反対派等から潰される可能性があります。
薩摩藩士と長州藩士とが藩に関わる約束をする場合、特に藩の親戚筋等の上層部に分からないよう進める必要がある。

・実質は藩と藩との約束であったとしても、藩全体が大事なので、問題になった時、担当者や外部の者の責任にし、藩主などに責任が来ないようにしておく必要がある。

・結果的は、倒幕・朝廷の廃止・藩制度の廃止が行なわれました。
密約の当初から、そのような話があったかどうか分からないが、公家の岩倉が入ったぐらいからは、そのような話もしていたと思われる。
その目的のため、薩摩・長州へ討幕の密勅が下され、(藩主ではなく)天皇の命令で藩組織を動かし新政権を樹立する作戦の密約があったと思われるが、その内容は味方であるはずの他の藩士にもできない。

・ある程度時期が進んだら、藩内で薩摩と長州は味方同士だと言っただろうが、自藩や自身に有利な説明をするため、公式文章を作らなかった。
等があります。

色々経緯が語られたりしていますが、フィクションです。

菊池龍太さん

2012/1/2017:48:48

すべては坂本龍馬と中岡慎太郎が成立させました。
もとは勝麟太郎の考えです。
慶応3年(1867年)にでき、内容は
薩摩が長州を守る・幕府と戦う場合二藩で戦う(かなり大まかです)
などです。
このおかげで大政奉還ができ、明治政府もこの二藩になりました。
お分かりいただけたでしょうか?

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる