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横浜にいたメリーさんは戦後の娼婦? もともとは、いい所のお嬢様だった? だか...

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ID非公開さん

2012/2/821:00:31

横浜にいたメリーさんは戦後の娼婦?
もともとは、いい所のお嬢様だった?
だからああいう格好をしていた?
など、いろいろな説があるようですが何才位まで売春していたのでしょうか?
見た目的に買う男性がいるとは思えなかったのですが…?

映画’横浜メリー’には本人へのインタビューや声も入ってるのですか?

補足メリーさんがよく町にいた頃は全くもって謎の存在でしたけど最近は映画や舞台で取り上げられたりして謎が解明?された部分もありますが何才位まで売春していたのかと、どこに住み何して食べていたのかが謎で質問してしまいました…。
舞台は観た事ないけど五代路子さんがメリーさんを始めて見た時「彼女が何か訴えてるように見えた」とか言ってたけどドラマチックにキレイに話を作り過ぎ?とも思いました

謎の部分は謎のままで良いのかも?…ですね

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ベストアンサーに選ばれた回答

tam********さん

編集あり2012/2/921:25:40

彼女は、横浜には戦後かなりいた外人向けの娼婦です。
殆ど廃業していく中、彼女はずっと続けていた。外人もいなくなり、ただ娼婦として。何故に普通の生活を望まなかったのかは、わかりません。70歳近く(あくまで推測)まで、街に立っていた。

前の回答者さんが詳しく書いてますが(オブラートに包んで)、ぶっちゃけて言うと、かなり不気味に
存在していたんですよ、。
自分等にとって
あの白塗りの娼婦は、生活とは、まるで関係ない存在、
勿論、気にはとめますが、それ以上は、ない。
いったい誰が買うんだ?
そんな気持ちで
見ていたとしか言いようがない…。

いま
(横浜大好き)五代さんが
横浜のある意味象徴的な女性として舞台で(ライフワークで?)メリーさんを演じていますよね。


自分等にとって、触れてはいけない、馬鹿にしてもいけない、肯定も否定もしてはいけない、そんな存在だった横浜メリーです。

実は当時、東神奈川で猫を拾って、
実家の親父お袋の所にもっていって、飼ってもらった。
その猫に親父が名前を付け、呼んでいた、。

…18年生きたんですよ。うちのメリーは。

補足を読んで、
追記。

横浜には本当に、ドラマになるような人がいっぱいいたように思います。
自分は、
野毛のダウンビート(現存、二代目店主営業中)ってジャズ喫茶(ミュージシャンやジャズファン御用達店)を根城に、学生時代を過ごしました。勿論、中でバイトもしてました。いまでも続いている?ここの来客ノート(なんか本?になった)は、自分が最初始めたものです(以降いろいろな人が続けてくれた)。
…それぞれ、横浜に流れついてきます。決して触れてはいけないこと、
あると思います。
涙も…ありました。挫折や絶望、喜び、歓喜、希望、夢、。なんでもありです。
…メリーさんはこれだけ取り上げられて、喜んでいると思いますよ。
きっと、それでいいんですよ。それでいいんだと思います。

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質問した人からのコメント

2012/2/15 09:01:27

降参 お二人共ありがとうございました
昔とはいえ(そんなに昔でもないし)メリーさんが街に立ってたのを皆がジロジロ見る訳でもなく受け入れていた?横浜伊勢佐木町界隈って特殊な?街ですね
なんか最近はロマンチックに言われ過ぎ?な気もしてましたが…今メディアがメリーさんを取り上げたり皆がメリーさんを懐かしく思い出すのをメリーさんがあの世で喜んでるといいですね
ずっと孤独だったみたいですし。

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pip********さん

編集あり2012/2/923:57:08

(補足を受けまして)
そうですね、謎は謎のままでよろしいのではないでしょうか。
メリーさんは、人であって人でない、いわば妖精のような存在だった、と思っています。

かつての横浜を愛する者にとって、あくまでも横浜の中心は伊勢佐木町。
その伊勢佐木町や馬車道を根城にしていたメリーさんは、私にとって古き良き横浜の一部です。
ぜひ「ヨコハマメリー」をご覧ください。
元愚連隊の二人のじいさんが、「そう、ここに根岸屋(黒澤明の映画「天国と地獄」や矢作俊彦&大友克洋の「気分はもう戦争」にも登場した横浜の飲食店。既にありません。)があったんだ。」と話している場面など、同じ界隈にあった閉鎖された映画館で、山ほど映画を観まくっていた私などは、涙が出そうになってしまいました。

そうそう、林海像の濱マイクシリーズ2作目「遙かな時代の階段を」では、坂本スミ子さんがメリーさんを演じていました。


その昔。生前のメリーさんを、伊勢佐木町でよく見かけました。
遠くからでも、その存在がわかりました。
独特の「匂い」です。
私たちにとって、メリーさんは横浜の風景のひとつであり、あたりまえの存在であり、何も珍しいものではありませんでした。

私は映画ファンだったので、‘70年代の映画「ダーティメリー クレイジーラリー」をもじって、
心の中では「ダーティメリー クレイジーメリー」などと読んでいました。
メリーさん、ごめんなさい。

メリーさんが何歳まで商売をしていたかはわかりません。
どのように生活を維持していたのかもわかりません。
メリーさんは、1960年代から(‘50年代という説もある)横浜の伊勢佐木町界隈にいたそうです。
岡山県出身で、関西から流れてきた、と言われています。
最初は横須賀にいたようです。戦後、米兵相手に仕事をしていました。
相手が米兵だから、当時のその手の女性はアメリカ女性の名前を名乗りました。
メリーさんも、そうです。
決して良いところのお嬢さんなどではなく、家は貧しかったようです。
では、なんであのような格好をしていたのか。
それはわかりません。
メリーさんだから、と言うしかない。

「ヨコハマメリー」は、横浜出身者には涙なくしては観られない、ドキュメンタリー映画の傑作です。
メリーさん本人も登場します。
どのように登場するかは、以下ネタバレですが・・・




メリーさんは‘90年代の半ばに姿を消します。
実は老人ホームに入っていました。
映画には、老人ホームにいるメリーさんが登場します。
それは、本当に、普通のおばあさんでした。


メリーさんがいなくなり、横浜は変わりました。
横浜がおしゃれな街だって?笑わせます。
街の中に、メリーさんのような人が普通に溶け込んでいる、それが横浜です。
猥雑と洗練、剣呑と安らぎ。その全てがあたりまえにように共存している街が、横浜です。
いや、横浜でした。

(補足を受けまして)
そうですね、謎は謎のままでよろしいのではないでしょうか。...

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