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平安~江戸時代までの貴族は武芸の稽古は一切しなかったのでしょうか?

gro********さん

2012/2/2700:29:26

平安~江戸時代までの貴族は武芸の稽古は一切しなかったのでしょうか?

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yoh********さん

編集あり2012/2/2706:57:57

「大鏡」にある、藤原伊周たちが弓遊びをしているところに藤原道長がきて、「摂政・関白すべきものならば、この矢あたれ」などといって、見事に矢を的の同じ場所に何本も打ち込んでみせた話は有名です。
道長が暴れ馬も上手に御した話もあり、道長ほどの人になると、武芸も一流にこなしたという印象。当然練習もしていたでしょう。
また、「刀伊の入寇」があったときに撃退した藤原隆家も、道長の甥にあたる名門貴族階級です。

すべての貴族が武芸をたしなんだということはないでしょうが、武士が階級として成立する以前の平安中期には、ときと場合によっては、貴族は軍事的指導者になることもあり、武芸もまた習得しておくことが好ましいもののひとつではあったでしょう。

そもそも受領階級くらいの中下級貴族には家柄によって得意とする”芸”があり、源氏や平氏などは、「武芸」を”お家の芸”にした貴族なのだという見方もあります。
源氏や平氏だけではなく、盗賊袴垂とのエピソードが有名で受領としても名高い藤原保昌も、このクラスの貴族だといえます。

鎌倉時代に武家政権が成立すると、貴族から武家になることで社会的地位を確保しようとする人たちもでてくる。
代表的なのが、摂関家と同じ藤原北家の分家である上杉氏でしょう。
戦国時代には、長尾景虎が上杉氏の家を継いで戦国大名・上杉謙信となりますが、家柄でいえば鎌倉時代の中期までは貴族階級でした。
南北朝期の北畠顕家なども、武将としての活躍で有名です。

あるいは、戦国時代になっても織田信長の軍勢に協力していた冷泉為純のような貴族もいましたから、こういう志向をもつ人なら、少しは武芸の練習もしたでしょうし、そうでなくても、「言継卿記」の著者・山科言継のように、領地にごたごたがおこれば領主として鎧を着用して現地に出向かう必要に迫られたりもしたのであって、人にもよるでしょうが、貴族といえども戦闘行為と無縁という世界でもなかったのです。

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sca********さん

2012/2/2712:15:01

そんなことはありません。江戸幕府の「禁中並公家諸法度」によって公家は実質的に武芸を禁じられたので、そういうイメージがついたのでしょう。

平安時代の貴族の普段着は「狩衣」ですが、これはもともとは狩りのときに着用したラフな衣装です。狩りをするということは、馬に乗れて弓も扱えたということです。
流鏑馬などは鎌倉武士のものというイメージですが、流鏑馬を含む弓馬礼法は、896年(寛平8年)に宇多天皇が制定したものです。

歴史的にはけっこう武張った公家もいて、戦国時代の関白・近衛前久などは上杉謙信や織田信長と渡り合う胆力と度量のある人物でした。自身も馬術と鷹狩りが抜群に得意で、その解説書を書いたりしています。
土佐の一条、伊勢の北畠などは公家が戦国大名化した例ですね。

幕末動乱期に暗殺された尊攘派の公家・姉小路公知は、幼少のころから剣術をやっていたことが知られていますから、表向きに禁じられていた江戸時代でさえ、公家はちょこちょこは武芸をたしなんでいたのです。

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