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三宅島などの伊豆諸島は、なぜ東京都なのですか?

anpanman4747さん

2012/3/1623:40:11

三宅島などの伊豆諸島は、なぜ東京都なのですか?

なぜ静岡でもなく、神奈川でもなく、千葉でもなく、奥まった東京都なのですか?
何か理由とか、由来などがあるのでしょうか?

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untamaghiruさん

編集あり2012/3/1812:29:09

伊豆諸島は、その名が示す通り歴史的には伊豆半島(静岡県)と同じ「伊豆国」に属していました。
江戸時代は徳川幕府の直轄領(天領)で、明治維新後、伊豆半島等の旧幕府領と一緒に「韮山県」の一部になり、1871年(明治4)に現在の神奈川県西部・静岡県伊豆半島を管轄する「足柄県」(県庁は小田原)に属することになります。

1876年(明治9)足柄県は東部が神奈川県に、西部が静岡県に分割統合され消滅、伊豆諸島はこのとき同じ「伊豆国」である伊豆半島とともに静岡県の一部となりました。
しかし静岡県の版図となったのも束の間、わずか2年後の1878年(明治11)に内務卿・大久保利通の裁決で伊豆諸島は東京府(東京都の前身)に移管され、現在に至ります。


伊豆諸島が東京府に移管された直接のきっかけは、伊豆諸島の裁判事務が東京裁判所に帰属することになったためとされます(大久保から太政大臣三条実美への上申書にはそう書かれています)。
これはつまり、島民が司法・行政の要請で出頭するときは、静岡ではなく東京に出ないといけなかったということを意味します。

コメがほとんど穫れない伊豆諸島では、島民は海産物や黄八丈などの特産品を江戸の「島方会所」に送って売り捌き、その代金で生活の糧を得ていました。本土との航路は伊豆半島の港以上に江戸との往来が中心でした。明治維新で江戸が東京と改められたあとも、伊豆諸島は東京に経済的に強く依存する状態であることに変わりはありませんでした。

経済的に江戸(東京)に従属していたという点では関東地方の他の土地と同じですが、離島である伊豆諸島の場合は江戸=東京との間の航路が絶対的な生命線だったのです。


しかし、伊豆諸島以南の島々は、日本国が太平洋上の権益を確保する上では非常に重要な領土なのですが、個々の島はさしたる産業もなく住民も少なく、行政の補助なくしては船会社が航路を維持するのは今も昔も不可能な場所です。
伊豆諸島が東京以外の他の県の管轄になれば、その県が東京航路のためにいつまで予算を割いてくれるか保証の限りではありません。
県庁が小田原にあるうちはまだしも、東京とは反対方向の静岡の管轄になったのでは、ますます東京と切り離されてしまうという危機感が島民の間にあったはずです。
実際に島民や商人からも、静岡県から東京府への移管を求める嘆願書が政府に提出されていました。

どのみち東京のサポート無しには自立できない島々ですから、それだったら財政力も比較的潤沢な東京府に面倒を見させようというのが明治政府の判断だったはずです。静岡県もコスト負担が大きい伊豆諸島の帰属を望んでいませんでした。



伊豆諸島が東京府に属することになったもう一つの要因として、1876年(明治9)に日本の領土として国際的に承認された小笠原諸島の存在があります。

小笠原諸島は日本領と確定した直後に内務省直轄地となりましたが、「本土」として扱うにはどこかの府県に管理を委ねないといけません。
しかし「伊豆国」の一部でもなく本土からは八丈島や青ヶ島よりさらに2倍3倍の距離がある小笠原諸島を、もともと離島管理に消極的な静岡県に押しつけるわけにはいかない。

そこで白羽の矢が立ったのが東京府です。東京は首都として他の府県以上に中央政府の強い管理下にありました。当時は東京府知事は政府が任命した役人が務め、警察も東京府だけは府県の管轄ではなく内務省直属の組織でした。現在は違いますが、今も東京都の警察機構だけ「東京都警」ではなく「警視庁」というのは当時の名残りです。


小笠原諸島を中央政府の影響が強い東京府の管理下におくことに決めた。そうなれば、本土と小笠原の途中にある伊豆諸島も東京府に移管して、離島管理を東京府に一元化したほうが効率的という判断になるのは自然の成り行きです。
こうして伊豆諸島は1878年に、小笠原諸島は少し遅れて1880年にそれぞれ東京府の所管になり、現在の東京都に引き継がれています。

質問した人からのコメント

2012/3/18 23:17:19

成功 皆様の貴重なご回答、誠にありがとうございます。とても参考になりました。一番早く、しかもこれだけの長文を作っていただきありがとうございました。歴史の教科書以上に勉強になったのではないかと思います。

ベストアンサー以外の回答

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2012/3/1800:03:26

輸送や移動の面で東京が便利だった経過からそうなりました。

hokusaidoriさん

2012/3/1718:39:53

答えている人たちの言っていることがよくわからない。

江戸幕府の直轄地(天領)なら東京都に入れてもらえるの?天領は日本全国にあったけれど、なぜよそは東京の領地にならなかったのかな。

江戸(東京)と経済的に強く結びついていたから東京都に編入されたというなら、関東一円はほとんど東京都になっていなければおかしいのでは。

東京と商売上の関係が深かったとしても、東京と同じ県(都)であらねばならない理由がどこにある。神奈川県や静岡県の人が東京に物を売るのに、別に関税がかかるわけでもないだろう。

doifurusiさん

2012/3/1623:58:02

時代劇で「島流し」って言葉を聞きませんか

島流しの島が八丈島など伊豆諸島で、江戸幕府の直轄地だったのです
物産の売買なども江戸に置いた島会所を通じて行われていたため、江戸との繋がりが大きかったのです

k99haさん

2012/3/1623:50:49

直接的には伊豆諸島の自治体がそれを望んだから(昔に)。

元々旧国では伊豆国だった。で、その後そのまま静岡県に編入された。

が、このあたり、航路は江戸=東京方面に重点が置かれていて住民としては東京の方につながりが深かった。
#だって、物売りに行くのは金持ってる江戸に直売した方が楽じゃない?
なので、直後に東京編入の嘆願とかが行われて東京の方が引き取った。

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