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南リョウ二朱に比べて、一分銀は量目が劣りますが問題なく流通したのですか?

rit********さん

2012/3/3123:41:22

南リョウ二朱に比べて、一分銀は量目が劣りますが問題なく流通したのですか?

明和南リョウ二朱銀は、八片を以って一両に換えると記されています。
銀の質もほぼ純銀で、非常に良質だったので一応流通したそうです。
その後に、一分銀が出てきますけれど、これは南リョウ二朱に比べて量目が劣ります。
南リョウ二朱が10.12~10.30グラムなのに対して、一分銀は8.62グラムです。
本来、一分銀は南リョウ二朱の2倍の量目がなければいけませんが、逆に減っています。
だれも、南リョウ二朱2枚と一分銀1枚を同じ価値とは見ないですよね?
一分銀が作られたなら、南リョウ二朱は退蔵したのでしょうか?

補足額面貨幣なので、今日の紙幣につながるのでしょうか。
幕府の信用で、一分銀というのは一分の価値を持つとして流通したのですね。
それまでは、銀はいちいち計って、切ったりしていたのですか?丁銀、豆板銀など。使い勝手が悪かったのですね。

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jas********さん

編集あり2012/4/101:09:03

旧来の古南鐐二朱銀の裏面には「以南鐐八片換小判一両」と表示してあり、この二朱銀8枚で小判一両と交換できるとなっていますので、旧来の表記に従えば、1837年から発行された天保一分銀も「以四片換小判一両」と表記すべきところです。

しかし、この天保一分銀は「金一分の価値を持つ銀」とストレートに表示しています。天保一分銀は表記貨幣(名目貨幣、計数貨幣)であり、幕府の信用力によって額面通り一分として通用しており、銀の量目には関係ありません。

この一分銀を発行するにあたって勘定奉行の役人たちは、銀の品位を上げたことを(古南鐐二朱銀は銀978、天保一分銀は銀991)強調するために、呼称を「南鐐銀」(南鐐とは良質の銀という意)から「花降銀」と変更しようとしましたが、老中・水野忠邦はこれを却下、結局、表面に「一分銀」のみの表示とし、周囲を桜の花で囲みました。

この天保一分銀は幕府の期待通りよく流通したといい、改鋳するまでの17年で7891万枚余の膨大な数量が鋳造されたといいます。

名目貨幣である古南鐐二朱銀(明和型、寛政型)の発行は、小判と秤量貨幣である丁銀相互の変動相場による両替を元に利益を上げていた両替商にとっては死活問題であり、両替商はかなり抵抗しましたが、幕府は優遇処置をとったことから、この古南鐐二朱銀や、後に発行される文政型南鐐二朱銀とともに流通していき、秤量貨幣である丁銀を凌駕していきました。

田沼意次が鋳造させた古南鐐二朱銀は秤量通貨制を廃し、表位通貨一色の現制度に向かう第一歩とされています。

秤量貨幣である丁銀は必要に応じて切って使用し、豆板銀はその補助とし、僅かな目方の調整用として使用されました。重さで取引されるため、発展し続ける経済にはそぐわないようになっていきました。

質問した人からのコメント

2012/4/3 22:39:18

ありがとうございました。

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