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哲学は言語ですよね。これからめっちゃくちゃなことを書きます。

nan********さん

2012/4/1500:46:04

哲学は言語ですよね。これからめっちゃくちゃなことを書きます。

僕からすれば、以下の事はすべて正しいです。

言語は表現である。

上の事を表現するために言語を使った。

ゆえに表現は言語である。

言語で示せるのは言語だけである。

言語で言語以外の何も示す事は出来ない。

哲学は言語である。

また、ここに書いてるのは、音声ではなく文字である。

全ては端的にそれである。

全てはこの私が感じることであり、ここに表現できないし、すでに表現できている。

何を語ろうとしてもそれでしかない。



そんなわけで、僕は完全な孤独を感じています。多分この孤独はどうしようもない孤独であろうと思います。

自分の記憶が消えて他人となったとしたら、自分がそれを感じることはできないし、もし自分がそれを感じることが出来たのなら、それは他人の経験ではない。他人の経験はできない。

すべては自分の経験である。

タイムスリップしたと感じることができるのは、自分変わることのない時間の流れ方を感じていることなのだから、それはどういうことなのだかよく分からない。

タイムスリップするには自分が感じる時間は普通でなければならない。

こういうことも全て言語のうちだった。でも、それでしかなったとしてしまうと、それ以上考える事をしなくなってしまう。

主張は言語だった。

言語を超えるのは、自分でしかない。そう表現できるのも言語。

自分で考えるしかない。これも言語。

実際表現できない事をなぜ言語で表現しようとするのでしょうか?

補足実際に表現できないこと、と言語で表現しましたが、それが表現した事を、「僕が表現したかった意味」・・・①で読む人が解釈するかどうかと考えると、あり得ないことが分かると思います。①を含めようとしたにもかかわらずです。書いてある全てについてもそれが言えます。結局他人がどう解釈したのかを自分が分からないという事なのですが、こう書いたとしてもあなた方には分からないという事を言いたいんです。わかりますか?

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wat********さん

2012/4/2122:40:26

「言語とは何か?」と考えると、非常に難しいと私も思います。
あなたの「めっちゃくちゃ」が、言語に付随する問題の深さを暗示しています。

以下、気になった点をいくつか。
私も、これからめっちゃくちゃなことを書きます。

まず、コミュニケーション学では、「言語」「非言語」という区別を昔からしていました。
「非言語」は、身振り、表情、目線だけでなく、社会的立場や性別、服装など、
さまざまなものが含まれます。

割合については諸説ありますが、コミュニケーションにおいて【情報】を伝えるのは、
「言語」が3%~30%、「非言語」が70~97%であるのはほぼ間違いありません。

したがって、「表現」が「情報の発信」であるならば、

> ゆえに表現は言語である。

というのは、とりあえず否定されそうです。

> ここに書いてるのは、音声ではなく文字である。

「文字」と「言語」の混同があります。
「文字」は「言語で記載されたもの」以外の「情報」を含まないか?(いや、含む)
この【字】。
例えば、背景が「白」、色が「黒」、自体が「(おそらく)ゴシック」、「【】で強調」
といった情報を含みます。
これらが変われば伝わる印象(情報)が変わる、というのは自然な体験です。

また、日本語は「表意文字」ですが、すべての「文字」が
「表意文字」とはかぎらないことからも確認できます。

したがって、「文字」と「言語」を混同するのは不適切です。
「文字」はひとつの記号にすぎません。

> 実際表現できない事をなぜ言語で表現しようとするのでしょうか?

画家や彫刻家、写真家、音楽家といった芸術家の活動はどうなるのでしょう?
言語で表現できない何かを表現しようとする専門家ですよね?

また、例えば歌人。
俳句や川柳といった日本の伝統は、たった十七音で、記載された情報以上を
表現しようと努めており、そして成功しています。

> 結局他人がどう解釈したのかを自分が分からない

ここが「言語」の面白いところのひとつです。
普段私たちは言語を主体的にコントロールしている、と感じています。
(少なくとも、私はそう感じます)
しかし、質問者のご指摘通り、「言語」には「私」のコントロールを超える側面がある。
よく検討してみれば、「私」には、「自分の言葉」を作り出す権利が
与えられていないことに気づきます。
もし、私が「自分の言葉」を作ったら(例:私は【ケモチョーラヌス】な【ぐたた】です)
「芸術」か「言語新作」と判断されます。
したがって、私が普段していることといえば、
「言語のコラージュ」にすぎないわけです。

つまり、「私」が生まれたとき、「言語」はすでに「外」に存在していた、
という否定できない事実があります。

わかりますか?(笑)

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nay********さん

2012/4/1709:37:34

あなたの言おうとしていることは、一言で言えば、「思考したことは全て妄想である」と言うことになります。

思考は言葉によって行い、論理を組み立て表現しますが、それは実態では有りません。哲学も言葉による思考であり、実態では有りません。それならば、どんなに考えても実態に行き着かないではないかとあなたは思っているのではないでしょうか。

そのように考えている哲学や宗教はたくさん有ります。あなただけでは有りません。そしてそのジレンマを突き破ろうとする試みが、思考停止による直覚認識です。その道を追及している代表的なものは禅です。直覚認識によって、実態を一挙に捉えようとするものです。ですから禅は論理を超えています。それは体験した人にしか理解できない世界となります。

言葉と言うものは、物事を識別するために、本来あったものを細かく切り刻んで、名前をつけたものです。それを分別とも言います。その名前は実態ではないのに、実態であるように思って思考しているのですが、それでは、本来の実態には届かないのです。命の正体を知ろうと思って、かえるを解剖し切り刻んで分析しても、それは見つかるはずは無いのです。自分が生きたかえる自身にならなければそれは見つからないのです。

a35********さん

2012/4/1512:27:55

表現するスベは、言語しかない!?

考えて話す 知性
感情のまま話す?

手振りで話す?

同じ言葉でも 表情で 怒ってるか… わかるよね…

言葉は手段なんだ

意思伝達の道具

最初から言語は あったのか?

阿吽の呼吸 同じ目的の者が、ひとつのものに取り組んだり、長い間 一緒に暮らすと 生活パターンがわかり 話さんでも、相手の気持ちがわかるよ…

だが 見知らぬもの 赤の他人に 自分を 知って貰う、相手を理解するには どうする?
だから、言語が生まれた!

わかりあえる為、の武器

何故に人気あるの?芸能人 政治家等々

身体から発する自己表現
同じ言葉でも重味が違うんだ!!

訴え心に染みる慟哭のような 言葉

哲学は 言語!? ちゃう!!
考え方 捉え方 生きざま 等々

人として どうなのか 自分から 他人から 客観的に 分析するものでは ないだろうか!!

hik********さん

編集あり2012/4/1722:12:53

補足

表現を「する」のは主体であって、読む人、所謂客体は表現を「される」ほうですよね。
「僕が表現したかった意味」を読む人が解釈するかどうかとありますが、
伝達における発信側の情報不足であると考えられないのでしょうか?

受信側が不足した情報を自分で補ってしまい、
そのプロセスで両者にズレが生じる=(主体から見る)表現できないということですか?


むずかしいです。わかりません。

has********さん

2012/4/1500:54:20

ご苦労様。
自ら「これからめっちゃくちゃなことを書きます」と書いてあるのでメチャクチャなのは判っていますよね?
こういうのを「支離滅裂」といいます。
次の”まとまった”文章に期待します。

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