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千利休は、なぜ黒色を好んだのですか?楽の黒茶碗は至高の物と考えていたようです...

f31********さん

2012/4/3012:06:03

千利休は、なぜ黒色を好んだのですか?楽の黒茶碗は至高の物と考えていたようですが、素人には分かりません。
利休が、楽の黒茶碗のどこに美を見たのか知っている方、教えて下さい。

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ran********さん

2012/5/202:50:14

現代の茶道具に限らず、室町期、戦国期、織豊期、江戸期の茶道具の価値は先達の茶人達が愛用した茶道具や格式を踏襲するという繰り返しと言えるかと思います。しかし、室町期から永く高価値を有した東山御物に代表される唐物(中国製茶道具)が幅を利かす茶道具の価値基準の流れに最初に一石を投じたのが、村田珠光でした。珠光は侘び茶の開祖と同時に侘び茶道具の見出した開祖ともいえます。

利休はそんな村田珠光の流れを汲む武野紹鴎の弟子でした。そして、ここが重要なポイントかと思うのですが、利休は武野紹鴎に弟子入りする前に【北向道陳】に最初に弟子入りしていたのです。その道陳から、利休は紹鴎を紹介され、紹鴎に弟子入りする事になります。道陳は前記した唐物茶道具の【目利き】でした。その茶の湯も、書院茶を代表とするいわゆる昔ながらの茶の湯形式を利休に教えていましたし、茶道具の嗜好も当然、唐物が至上物だとして、利休は認識していたはずです。

しかし、道陳は茶の湯の主流が書院茶から侘び茶に以降しつつある世情を感じ、自身の自由奔放さも相まって、弟子の利休を知己であった武野紹鴎に紹介し、更に紹鴎への弟子入りも勧めます。そして、利休は道陳、紹鴎という同時代の異なる名茶人の茶風を学び、茶道具に関しても、拘りがない唐物、高麗物、和物といった茶道具の目利きも学び、自らの価値観を生み出す事の出来る土壌が恵まれたと言えます。

そんな中、生まれたのが質問者さんの仰る黒楽茶碗等の【利休好み】の茶道具です。黒を基調とする利休の新儀の茶道具の1つ黒楽茶碗は、それまでの茶道具とは異質のものであり、全ての人に受け入れられたわけではありません。秀吉も好んでいなかった事は有名です。しかし、利休は黒楽茶碗を好みました。その美意識の中には唐物でも、高麗物でも、従来の和物でもない、新たな利休独自の創意物として、【朝鮮】の陶工を使って和物を作らせるという、アジアの融合とも言える新儀茶道具に美を見出していったと思われます。

利休は茶聖とも言われ、同時に聖人とも思われている現代茶人も多い様ですが、利休の生涯を振り返ってみると、最期まで意固地の頑固者だったと思います。黒楽茶碗もどちらかというと、侘びの美意識の中から生まれたというよりも、それまでの茶道具と異質の物を作りたかったという利休の性格的な面から生まれた茶道具かと思われます。それでも、利休の生み出した茶道具は、やはり素晴らしいと思いますし、彼の生き様も好きです。

まだ制作中ですが、織豊期の茶道具知恵ノートを作ってみましたので、よかったら覗いて下さいませ。
↓↓↓
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n26580

現代の茶道具に限らず、室町期、戦国期、織豊期、江戸期の茶道具の価値は先達の茶人達が愛用した茶道具や格式を踏襲すると...

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aok********さん

編集あり2012/4/3022:08:21

千利休様は商人ではあられましたですけれども「茶人」でもあられました。

その時代の方様達がどのような感じでお茶を点てられておられましたのかは判りませんですけれども・・「御茶人」と申します方様達はやはり「わびさび」を重く重んじられまして静かにお茶を点てられましておられましたのではないかと思います。

豊臣秀吉様は千利休様と「よく」だと思いますけれどもお茶を点てられておられましたと思います。
豊臣秀吉様は貴方様の御ご質問のような色と致しましては「金色」を御好かれておられましたと思いますのですけれども・・・。
それはやはり天下人になられたい或いはなられました故のそのような意識のようなものでしたのかと思います。
でも千利休様は御商人ではあられましたですけれども「御茶人」でもあられましたですのでどう足掻けられましても天下人とはなられませんでしたと思います。

千利休様がそう思われておられましたのかどうかは判りませんですけれども「もうわたくしは貴方様(御豊臣秀吉様)には負けております」・・・。
所謂「天下人には到底なれません」・・・。
そのような意味のような・・そのような感じのもののような何かそのような・・・。

それで『黒』を使われておられました・・・。?
或いは何か判りませんですけれどもそのようにさらせられました・・・。?
それは自然の成せられます処のそれはどなたか様の念力と申しますような何かそのようなもので突き動かされましたようにも思えます。

何かこのような感じなのではないかと思いました。



下記URLを参照させて頂きました。
【衣笠安喜「千利休の黒」(『日本思想史研究会会報』第1号、1982.4)】
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/6640/kaihou/1kinugasa.h...
wiki【千利休】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%88%A9%E4%BC%91


【追加】と申しますより【本回答】になります。
>楽の「黒茶碗」は至高の物
その中の「黒」と申します事をわたくし的に考えてみますと黒は何となく「負け」のようなそのような感じのように思います。

>楽の黒茶碗は「至高の物」
これもわたくし的に考えますのなら・・・
『悲しかなその「黒」がわたくしに合いましたもの』
何かそう申します事のような・・・。
ですので「切腹」も快く?・・かは判りませんですけれども受け入れられましたようにも・・・。

>楽の黒茶碗のどこに美を見たのか・・・
所謂御商人と致しましては財と名誉等?を手に入れられましたと思いますのでそのわたくし(千利休様)が「これが素晴らしい物なのだ」と思われまして公にされましたとされましても不思議はありませんような感じは致します。


因みにわたくしも俳号がありましてその号は「黒枯朝鞍(くろかれてふあん)」と申します。
わたくしもこの「黒」が入りましておりますのをここで申しましたような事で何となくは気に入りましてはおります。

大変長くなりまして申し訳ありませんでした。

黒枯朝鞍

set********さん

2012/4/3014:13:26

黒はお抹茶の色と非常によく調和して、茶の湯の侘びた気分を
盛り込むからのようでございます。
利休居士のお言葉に
「赤は雑なる心なり」
「黒は古き心なり」がございます。
雑なる心は感情的、古き心は理性的。
利休居士は黒いお道具を好み、窓が少なく狭くて薄暗い
茶室を好みました。
お茶を点てた時に、茶の緑が浮き上がる効果を
考えておりましたという説がございます。
懐石のお椀も黒を好みました。

黒楽茶碗が、お抹茶の緑色が一番映え、
身が引き締まるような思いが致します。

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