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役小角という修験者は没後1100年経ってから神変大菩薩の謚を時の天皇からもらって...

mfh********さん

2012/6/1619:51:02

役小角という修験者は没後1100年経ってから神変大菩薩の謚を時の天皇からもらってますが何故それほど経ってから業績が認められたのでしょうか

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ベストアンサーに選ばれた回答

2012/6/1621:02:22

彼は朝廷から誤解されて弾圧されてきました。しかし修験道は衰えることなく厳然たる力を持って来ました。
なので光格天皇の時代に偉業を讃えて名誉挽回を果たしたものと思います-------

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%A0%BC%E5%A4%A9%E7%9A%87

天明2年(1782年)、京都御所が焼失したとき3年間、聖護院を仮御所とした。また、寛政11年(1799年)、聖護院宮盈仁法親王が役行者御遠忌(没後)1100年である旨の上表を行った。同年、正月25日に烏丸大納言を勅使として聖護院に遣わし、神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡号を贈った。

其れは直接には聖護院宮盈仁法親王の力によるものと思います。
詳しくは下記の「聖護院」をご参照ください-------

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:YN8XCCxR15YJ:j...

質問した人からのコメント

2012/6/16 23:36:17

降参 皆さん回答ありがとうございます。

ベストアンサー以外の回答

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2012/6/1620:49:17

役の行者は、千早赤阪村に生まれ土蜘蛛を使役して無列天皇の怒りを買います。一言ぬしの大神とも関係が有ります。

金剛山で修行をして今では、大峰山の行者です。天皇の敵対派閥のはず?です。

編集あり2012/6/1620:59:35

簡単に言うとそれまでは民間信仰だったのですが命名によって国に認められたと言うことだと思います。
元々、天佐(ハピ)と言う名前でしたが小角と自称したという逸話が残ってますので自称だと思われます。
諡号とは死後、貴人や高徳の人物に天皇が与える贈り名の事。
神仏に認められ「義真」という神名が送られてるという逸話もあるので神名で言うとことらになりますが現在は真澄と呼ばれる事が多いです。
それだけ、信仰が広く厚く行われていたと言う事だと思います(そもそも朝敵なので)。

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