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太平洋戦争末期の昭和20年には米軍機が日本の各都市を空襲していますが 奈良・...

phw********さん

2006/9/2217:11:15

太平洋戦争末期の昭和20年には米軍機が日本の各都市を空襲していますが
奈良・京都だけは空襲しなかった為文化財が今も現存していると聞きます。

連合国側は日本の文化財の事を考えて空襲しなかったのでしょうか、
それともたまたまでしょうか?

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ors********さん

編集あり2006/9/2219:02:00

京都など小規模な爆撃はあったようです。
京都や奈良が本格的な爆撃を受けなかったのは目標となるようなものが無かったからでしょう。
昭和20年になると原爆投下目標の候補地に選定されます。

爆撃による被害がほぼ無かったこと、盆地という地形的な特徴が理由だったようです。
候補地になってからは爆撃が禁止されます。
しかし、早期に当時のスチムソン陸軍長官の発言で候補地から外されます。
外された理由は、京都は日本人にとって文化的にも重要な地であり、
これを破壊することは戦後の占領政策にとって重大な禍根を残す可能性が高いということだったようです。
アメリカは開戦半年後には日本占領後のプランを研究し始め、
比較的早い時期には占領政策には天皇の存在を利用することが有効であると判断を下しています。
戦後の占領政策をにらんだ日本人の心理面への研究は随分と進められたようですね。

ウォーナー博士により文化財保護のリストが作られ、これに基づいて文化財が保護されたという話もあります。
確か京都か奈良に彼の業績を称える碑があったと思います。
ですが、実際にはリストそのものはあったものの奈良や京都以外ではリストに記載の文化財で焼失したものも少なくなく、
こちらはどうも戦後になってGHQが盛んに宣伝した「伝説」に近いもののようです。

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umi********さん

2006/9/2217:38:59


原爆投下目標として、一般の空襲目標からはずしたのは、事実です。ただ、その後、占領後の精神支配を容易にするために、原爆目標から当面はずすことになったようですね。

pha********さん

2006/9/2217:29:45

こうゆう本もあります。
ご興味があれば、読んでみてください。

いわゆる『トンデモ本』の類ではないと思います。
http://www.kakurindo.co.jp/reading/2002/report.2002/021208.htm

ktm********さん

2006/9/2217:27:35

京都でも国立博物館の近くの「馬町」は空襲されていますから、たまたまか或いは別の目的(原爆などの効果を確かめるために、あえて空襲しない都市を残す)ではないでしょうか。

wsk********さん

2006/9/2217:17:31

確か考えてのはずです。
歴史の本などを読むとのってますよ。

eee********さん

2006/9/2217:12:33

>>連合国側は日本の文化財の事を考えて空襲しなかったのでしょうか
・・・そうです。

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