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あなたはとても立派です。 俺もまだまだだと改めて痛感いたしました。 おかげ...

mic********さん

2012/9/2521:11:04

あなたはとても立派です。

俺もまだまだだと改めて痛感いたしました。
おかげでまた一つ成長できました。
ありがとうございます。
知恵コインはささやかなお礼です。

大変恐れ入りました。


死んだらダメいうのは、俺自身一つの世間体にすぎないと思っています。

あなた様の言うことには、大変共感しました。特にこの部分です。
「死んでダメなことはないと思います。よく、「悲しむじゃないか」とか言う人がいますが、それなら、なぜ他人の悲しみを、本人の苦しみより優先させなければならないのか説明して欲しいと思います。」

説明できる人間はいないに等しいはずです。
世間体を気にし善人を演じてただけ、それか人を思いやる気持ちはあるが頭の悪いかどちらかかなと

私は後者です。
「無力」という言葉が妥当です。


全ての人間が平等ではないといえば、私の言いたいことがあなた様はご理解できるでしょう。

言葉がみつからなくて上手く説明できないので、大変悔しいです・・・

この質問は、zvh********さんに回答をリクエストしました。

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zvh********さん

リクエストマッチ

編集あり2012/9/2614:16:13

生きているだけで精一杯な人もいれば、ストレス少なく生活を送っている人もいる。事情は様々。生まれてから愛情あふれる温かい家庭に生まれて、親の愛情をたくさん受け、生きるって素晴らしいということを身をもって体験できてきた人もいれば、生まれるやいなや虐待にあい、関心も注がれず、不快な思いばかりしてきて、生きるって辛いことという感覚しか持てない人。
死にたい人というのは、どこか、死に希望を持っているという一面はあるでしょう。死は安らぎであり、救済者であるということです。そう思っている人に、現実世界の「いいこと」を話したところで、何が通じるでしょうか。今までなかったのです、死にたい人にとって、過去の経験に照らせば、これからも辛いことが続くのだろうと思うこと、推測することのほうが、いいことだってあるなんていうお仕着せの慰めより、何百倍も説得力があるだろうし、仮に、いいこともあると知っていても、死にたい人は、もう、そのいいこともいらない代わりに、不快な思いもしたくないというかもしれません。
死が生きることの苦痛から遠ざけてくれると知っているなら、それを求めてなぜいけないのかと思います。死にゆく過程が苦しいのは本人だって百も承知なんです。それにもかかわらず、その先にある安らぎを求めずにいられないほど、生きる事が辛いのです。原因?ここは治療場所ではないので明言しませんが、おそらく幼少期からの過酷な家庭環境などが人生に対する絶望の雛形になっているだろうということはよくあります。
ただ、言えることは、一見、何気なく生きていても、生きているだけで疲れきってしまう人もいれば、精力的に生活できる人もいるということ。人の苦悩というものは、決して比べられないし、比べてはならない。その人の苦悩は常にその人にとって最大のものであるのです。よく「私だってこんなことあった」「あなただけじゃない」ということを言う人がいますが、そういう人は、人間の悩みというものをわかっていません。赤ん坊に持たせる1キロと、成人が持つ1キロは同じ重さだから、赤ん坊にだって大した重さはではないと言っているようなものです。
私たちは、死ぬこと、あるいは死にたいという意思に対して、驚くほど無力なことを思い知らされます。

質問した人からのコメント

2012/9/26 17:06:38

感謝 長文誠にありがとうございます。色々と考えさせられ、とてもいい機会でした。

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