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大石寺第15世日昌上人から、京都要法寺出身の御僧侶方が御法主上人に就任されて...

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ID非公開さん

2012/10/1607:42:09

大石寺第15世日昌上人から、京都要法寺出身の御僧侶方が御法主上人に就任されていますが、どうしてそうなったのですか?大石寺が人材不足だったからですか? 要法寺が同じ日興上人の門下だったからですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2012/10/1705:22:22

人材不足もさることながら、寺院を営む資金不足も大きな課題でした


良王殿として大石寺第12世日鎮師から内付を受けた日院師も、土佐国幡多庄の豪族と伝えられ、その資金力で寺院を運営して行ったのです


しかし時は戦国乱世、しかも武田、北条、今川の戦国大名が三つ巴で睨み合う富士地方にあって、戦火は寺院にも及び、永禄12年には大石寺も諸堂消失の浮き目に遭います


日院師は今度は関東最大の戦国大名、北条一族から日主師を第14世に迎え、大石寺は資金援助を受けて再興を果たします


ところが今度は北条一族が太閤秀吉に滅ぼされ、再び大石寺は資金的な危機に見舞われます


そこで日主師は京都要法寺に資金援助と人材派遣を求め、大石寺と要法寺の通用が始まったのです


秀吉に北条一族が滅ぼされてから僅か4年後には日昌師が晋山してきている事を考えると、大石寺は資金的にかなり困窮していた事が伺えると言えるでしょう


要法寺広蔵院日辰が日院師に通用を求めて来た際、要法寺の像造読誦の謗法を理由に断っている事から、同じ日興上人門下とは言え、要法寺が謗法を犯している事は十分承知していた事でしょう


しかしそれを補っても余る程、要法寺の資金力は大きな存在だったのでしょう


この後百年に渡り、大石寺の法門教義は要法寺によって蹂躙されて行くのです

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質問した人からのコメント

2012/10/17 07:44:27

降参 最終的にはお金がモノをいうのですね、信仰の世界なのに…。何だかむなしい気持ちになりました。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

2012/10/1608:52:30

大石寺と要法寺が正式に通行したのは石山14世日主と要山二代日周ですが、最初の要山法主は、7世日阿が招いた8世日影です。日影招聘の理由は、正式な僧侶で無い日阿入道が、猊座の重さに耐え兼ねた事ですが、室町期から江戸期の百年に渡り要山僧が猊座に就いた原因は、貧乏な石山が京の富裕層を檀徒に持つ金満寺院要山の経済力に頼ったからです。要山開基の興祖弟子枯れ葉破門日尊は、蓮祖の法門に暗い釈迦本仏思想の破戒僧ですが、人を垂らし込む達人だったらしく、要山の基の法華堂も、目師が天奏途上で遷化された後に身一つで京に居座った日尊が、油小路の金持ちを騙して造らせたものです。

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