ここから本文です

こさくといわれていた、農民はどんな暮らししていたんですか。 年貢って、何パー...

tan********さん

2006/10/2016:09:00

こさくといわれていた、農民はどんな暮らししていたんですか。
年貢って、何パーセントぐらいだったんですか。

閲覧数:
357
回答数:
3

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

jjm********さん

2006/10/2218:52:42

年貢は平均で天領が3割、大名領が4割です。
年代や藩ごとにかなり差があります。
ただ、天領のほうが低い傾向にありました。
藩の財政が切迫すると6.7割ということもありました。
その他の課税の有無や悪天候の際の減免が認められるかによって負担は変化しますし、水呑みよりも豪農の方が総収入の比率で言えば楽でした。
小作の場合は年貢以外に小作料がありますし、用水や山での肥料の採取権の負担もありそれを加えるとそれこそ手元にはいくらも残らない計算になります。

質問した人からのコメント

2006/10/24 08:42:58

抱きしめる 奴隷ですね。

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

hak********さん

編集あり2006/10/2017:02:32

年貢は、普通4:6ですね。
百姓・庄屋は、作物の6割が権利でしたね。
このあとは、小作の権利は5割で、結果3割が最高の取り分です。
幕府直轄の地や副産物の多寡に応じて、随分と生活には差が生じたようですね。
年寄りの姥捨て山(置き去り)、赤ん坊の間引き(堕胎)、娘の身売り、子供の丁稚奉公も常態化し、悲惨になりました。
この貧民が飛散しないよう、藩界の取締り。他国で生活出来ないよう、方言・訛りの確立など、限りない束縛が進みました。

umi********さん

2006/10/2016:43:21

千差万別です。

百姓身分といっても、専業の農業者から実質的には商工業者であるものまで多様であり、さらにその百姓身分のものから農地を借りていた水呑、頭振りと呼ばれていた身分の人々にも、農業は実質副業で商工業の経営で大もうけしていた人々もいました。もちろん、零細でやっと暮らしの途を立てていた人々もいたわけです。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる