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ザ・フォーク・クルセダーズ版「イムジン河」 が放送自粛や発売自粛になった理由...

pda********さん

2012/11/1306:43:02

ザ・フォーク・クルセダーズ版「イムジン河」
が放送自粛や発売自粛になった理由は?

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fan********さん

2012/11/2002:58:29

発売自粛の理由

この曲はもともと北朝鮮では有名な曲で、松山やメンバーらの考えていたような民謡ではなく、高宗漢の作曲、朴世永の作詞によるものであった。オリジナルの曲では、主人公は臨津江を渡って南に飛んでいく鳥を見ながら、1番では臨津江の流れに対し、なぜ南の故郷へ帰れないのかを嘆き、2番では臨津江の流れに対し、荒れ果てた「南」の地へ花の咲く「北」の様子を伝えてほしいと思いを託す内容である。松山の歌詞では、北の幸せさに対し南を哀れむもともとの2番の歌詞は、分断に対する疑問を訴える歌詞に変わっており、まったく異なる物となっている。さらに松山の歌詞には、オリジナルにはない3番がある。

東芝音楽工業に対し朝鮮総連は、これが北朝鮮の歌であることと作詞作曲者名を明記すること、原詞に忠実に訳すことを求めていた。後者に関しては、洋楽の日本語訳詞でも原詞と完全な一致はしない物も多かったためあまり問題ではなかったものの、レコード会社は国交のない北朝鮮の名を出すことを躊躇し、大韓民国も北朝鮮の曲が日本国内でヒットすることを望まなかったためレコード会社に圧力をかけ、結果発売自粛となったようである。また、東芝音楽工業の親会社の東芝が大韓民国内での家電製品のシェア拡大に悪影響を及ぼすことを恐れたため圧力をかけたという説もある

2002年の再発の際にも、原盤を制作したフジパシフィック音楽出版(制作当時パシフィック音楽出版)社長の朝妻一郎(現会長)が原盤権を譲渡していた東芝EMIに発売を持ちかけたが了承せず、フジパシフィック音楽出版が原盤権を取り戻し、アゲント・コンシピオから発売にこぎ着けたという

その後 1995年に、ソリッド・レコードから、1967年に発表した自主制作盤『ハレンチ』に、発売中止となった「イムジン河」を追加したアルバム『ハレンチ+1』が発売された。ただし、インディーズとしての発売だったこともあってか、後述のシングル発売ほどは話題にはならなかった。

2001年には「日本語詞:松山猛、編曲:加藤和彦」として日本音楽著作権協会に登録された(北朝鮮は当時ベルヌ条約に加盟していなかったため、原曲の作詞者・朴世永と作曲者・高宗漢の著作権は「PD」となっている)。

2002年3月21日、アゲント・コンシピオより34年の歳月を経て初めてシングルCDとして発売された。この日は加藤和彦の55回目の誕生日だった。2002年4月15日付のオリコンシングルチャートで最高14位を記録した。

日本国内における1970年前後の過敏な状態も、1990年代 - 2000年代前半頃には表面的には収まっている。ザ・フォーク・クルセダーズを扱った番組や、ラジオ局の開局記念番組などで「音楽史の一部」としてながらも放送されている。

ただし、2006年現在でも放送の自粛が完全に終わったとは言えない状況である。たとえば、「イムジン河」が劇中曲として使われた2005年公開の映画『パッチギ!』のプロモーションで各放送局を廻った担当者は、どの局でも「イムジン河」と聞いただけで難色を示されたという
また、この歌が昼間からラジオあるいはテレビから流れることは滅多にない。

2012年8月2日、 21:10~ NHK-FM の全国ネット「ミュージックライン」にて森山愛子の「イムジン河」(2012年6月20日発売「約束」c/w曲)が流れる。松山猛の日本語詞が一般音楽番組で一楽曲として扱われた。

「悲しくてやりきれない」との関係
なお、発売自粛となったこの曲の代わりにザ・フォーク・クルセダーズの2枚目のシングルとして発売された曲が「悲しくてやりきれない」であり、2002年に発売されたシングルCD「イムジン河」のカップリングにも収録されている。同曲は「イムジン河」のコードを反対からつなげて作ったという話も残っているが、音楽理論上から見ると機械的なコード操作では無理なので、逆回転から発想を得てイメージを膨らませた結果と言える。1998年10月26日のNHKの『スタジオパークからこんにちは』にて加藤は、「某出版社(パシフィック音楽出版)の会長室に3時間限定で缶詰にされた。最初はいろいろとウイスキーだとかを物色していたが、残りわずかという時間になって、そろそろつくらにゃ、という気持ちで譜面に向かった。イムジン河のメロディを逆に辿っているうちに、新たなメロディがひらめいた、実質的には15分ほどでできた」と証言している。

ザ・フォーシュリーク版「リムジン江」
1968年11月25日には朝鮮総連が指定した李錦玉による訳詞でザ・フォーシュリークが「リムジン江」というタイトルでレコードを発売し、当時20万枚以上を売り上げた。なお、これは放送禁止扱いとなった。

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jim********さん

2012/11/1306:53:01

ウィキペディアより引用し、お答えます。
「イムジン河」は北朝鮮の歌に日本語訳詞を付けたものですが、レコード会社は国交のない北朝鮮の名を出すことを躊躇し、大韓民国も北朝鮮の曲が日本国内でヒットすることを望まなかったためレコード会社に圧力をかけ、結果発売自粛となったようです。また、東芝音楽工業の親会社の東芝が大韓民国内での家電製品のシェア拡大に悪影響を及ぼすことを恐れたため圧力をかけたという説もあります。

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