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ナイキ、アディダス・プーマの歴史を教えてください。いちばん歴史があるの、それぞ...

ajp********さん

2012/12/1804:38:57

ナイキ、アディダス・プーマの歴史を教えてください。いちばん歴史があるの、それぞれが得意な部分、それぞれの関係性、それぞれの特徴、それぞれ発祥の地など、 歴史やメーカーの特色やイメージなど教えてください。

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hpw********さん

2012/12/1823:52:08

質問の3社については、アディダスワールドというサイトに詳しく記載されています。

【アディダス】
・ダスラー兄弟商会
アディダスの創始者は、アドルフ・ダスラーというドイツ人です。
彼は1900年、ドイツ中南部のヘルツォーゲンアウラッハのユダヤ系靴職人の息子として生まれました。父親が靴職人であったためか、彼も靴職人を志し、20歳になる1920年に兄ルドルフ・ダスラーとともに「ダスラー兄弟商会」を設立します。
自身が陸上競技の選手だった経験から、スポーツ選手それぞれに合った靴の必要性を感じていたダスラーはこの「ダスラー兄弟商会」でスポーツ専門靴の開発を始めます。
その読みが当たり、この「ダスラー兄弟商会」の靴を履いたアスリート達が多くの大会で好成績を残したため、瞬く間に「ダスラー兄弟商会」の名は世界に広まりました。

・対立、そして創業
このように順調な「ダスラー兄弟商会」に転機が訪れます。
1948年、兄ルドルフ・ダスラーと意見が食い違い、分裂することになったのです。
この分裂後、アドルフが作ったものが、現在のアディダスです。名前は、アドルフのニックネームであった、アディ、に名字であるダスラーを繋げたアディ・ダス(ラー)から生まれました。三本ラインもこのとき発表されます。

・ワールドカップ、オリンピックでの活躍
独立後のアディダスは快進撃を続けます。
ヘルシンキオリンピックで西ドイツの選手全員がアディダスのシューズを履いて以来、その後のオリンピックで圧倒的な支持を集めることとなります。
その他、サッカーのワールドカップなどでも多くの選手に愛用されました。特に西ドイツが優勝したワールドカップミュンヘン大会では選手全員がアディダスを履き、その中でもベッケンバウアーのアディダス好きは有名でした。
現在はフランス代表のスポンサーもアディダスですね。

・不変のブランドへ
1970年には、バスケットシューズの「スーパースター」、クロスカントリー用シューズの「カントリー」など名作も多く発表。
創業者、アドルフ・ダスラーの考える、選手にあった靴を作り、選手と競技を発展させる。その精神を貫くことによってヒット商品を発表し続け、現在の地位まで登り詰めたのでした。

【プーマ】
アディダスの創業者、アドルフ・ダスラーの兄が作った会社であるプーマです。

・ダスラー兄弟
プーマの創業者、ルドルフ・ダスラーは、アディダスの創業者アドルフ・ダスラーの兄です。
二人はドイツで「ダスラー兄弟商会」を設立し、スポーツ選手にあった靴提供することによって多くのアスリートに金メダルをもたらしていました。
1948年、「ダスラー兄弟商会」が分裂することによってプーマの歴史が始まります。

・ルーダからプーマへ
兄ルドルフ・ダスラーは「RUDA」(ルーダ)を設立。これが現在のプーマです。
このRUDAという名前の由来は、ルドルフのル、ダスラーのダをくっつけたものです。しかし、このRUDAという名前が気に入らなかったのでしょうか、翌年1949年には「プーマ」に社名変更しています。

・オリンピック
プーマといえばサッカー色の強いメーカーだと一般に思われていますが、プーマの靴が有名になったのはオリンピックの陸上競技からです。
ヘルシンキオリンピック、ローマオリンピック、東京オリンピックと、プーマの靴を履いた陸上選手が金メダルを取り、プーマの名は一気に大きくなりました。

・サッカーへ
そのオリンピックで有名になったプーマはその後、サッカーワールドカップで多くのスター選手に愛用されます。1966年エウゼビオ、1970年ペレ、1974年ヨハンクライフ、1978年アルゼンチンチーム…などなど、多くの選手が活躍しました。これにより現在の地位を獲得したのでした。

【ナイキ】
アディダスのライバルでもあり、スニーカー界の巨人、ナイキです。アディダスと比べ、歴史の浅いメーカーです。

・ブルーリボンスポーツ
アディダスの宿敵、ナイキの創業者は二人。オレゴン大学の陸上中距離走者、フィリップ・ナイトと陸上部コーチのビル・バウワーマンです。
彼らがナイキの前身である「ブルーリボンスポーツ」社を設立するのは1964年。意外に歴史は浅いのです。
このBRS社は、「オニツカ・タイガー製靴会社(現アシックス)」からオニツカを輸入・販売をしていました。その後バウワーマン設計のオニツカタイガーなどの輸入販売をし、順調に事業を拡大していきました。

・ヒット作、ワッフルトレーナー
ナイキの名作モデルがあります。それは「ワッフルトレーナー」です。
1972年にバウワーマンがワッフルの焼き型をヒントに自宅で開発した「ワッフルソール」を採用したモデルで、1974年に発売されました。この「ワッフルトレーナー」がベストセラーになり、BRS社は大きく成長します。

・社名をナイキに
大きくなったBRS社は1978年に「ナイキ Inc」社に社名変更します。
ナイキというのは、勝利の女神ニケ(ナイキ)の読みを変えたもの。社員の夢に出てきたものだそうです。(社名変更よりも前の1971年にナイキブランドとトレードマークのスウォッシュはできていました)

・契約選手の活躍
その後のナイキ社の成長を支えたものは、2つあると言われています。
その1つは契約選手の活躍です。テニス界ではジョン・マッケンロー、バスケットボール界では、神様、マイケル・ジョーダン、ゴルフ界ではタイガー・ウッズ…などなど。数え上げればきりがありません。

・エア・クッショニングシステム
2つ目は「エア・クッショニングシステム」です。
1979年の「テイルウインド」に搭載されたシステムで、ソールに空気のクッションが入ったもの。
このシステムが発表されてからナイキの快進撃が始まり、1987年、そのエアが見えるようになった「ビジブル・エア」を搭載したエアマックスシリーズでその成長はピークに達しました。
エアマックス95は、社会現象にもなりました。

・Just Do It
このようにナイキはわずか30年あまりで世界トップのスポーツカンパニーに成長したのです。Just Do It。このスローガンはそのチャレンジ精神をあらわしているのです。

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