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茨城県はつくば市に研究所が多いわけはなんでしょうか??

yms********さん

2006/11/815:40:49

茨城県はつくば市に研究所が多いわけはなんでしょうか??

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ベストアンサーに選ばれた回答

赤信号男さん

2006/11/815:47:24

1950年代、東京は急激な人口増加によって過密状態となっていた。
このため政府は、1956年に首都圏整備委員会(以下委員会)を設置し首都機能の一部を移転することに関する検討を始めた。
委員会は、都内のすべての大学を移転し70万人都市を建設する試案や、都内のすべての官庁を移転し18万人都市を建設する試案などを立案していった。

1961年9月、「都内の市街地になくても、機能上さしつかえない官庁(付属機関や国立学校を含む)の集団移転について、すみやかに検討する」とした閣議決定がなされ具体的な検討が始まった。
委員会は、1963年に移転の候補地として富士山麓、赤城山麓、那須高原、筑波山麓の実地調査をし、東京から離れすぎていないこと、霞ヶ浦から十分な水が採取できること、地盤が安定した平坦地であることなどから、同年9月に筑波山麓(注:現在のつくば市と牛久市)に4,000haの研究学園都市を建設することが閣議了解された。
翌月、委員会はマスタープランとしてNVT(Nouvelle Ville de Tsukuba:筑波ニュータウン)案を提案するが、激しい地元住民の反対にあった。
その後計画面積を2,700haに縮小し、南北に細長くした案を提案、試行錯誤しながら建設の計画を進めた。

一方、1967年9月、6省庁36機関(その後43機関に増加)を移転することを閣議了解、1968年10月に旧科学技術庁防災科学技術センターが着工した。
しかし多くの機関が工事に着工しなかったため1970年5月に筑波研究学園都市建設法が施行され、その後着実に都市建設と機関の移転が進み1980年に機関の移転が終了した。

その後も都市機能などの整備が行われ、1985年には筑波の国内外における知名度の向上と民間企業の誘致のために国際科学技術博覧会を開催した。現在、約300に及ぶ研究機関・企業と約1万3千人の研究者を擁するに至る。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E6%B3%A2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E...

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