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武田信玄の軍師?として仕えていた山本勘助ですが本当に軍師だったのでしょうか?...

ジーニーさん

2006/11/1009:55:10

武田信玄の軍師?として仕えていた山本勘助ですが本当に軍師だったのでしょうか?今川義元のスパイではなかったのではないでしょうか?
川中島で作戦を見破られて討ち果てたイメージしかないのですが・・・・
宜しくお願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

メタスさん

2006/11/1011:57:26

山本勘助を軍略と築城に長けた天才肌の軍師として描いた初出の史料は17世紀初頭に成立したと考えられる『甲陽軍鑑』であり、その後もそのイメージが江戸時代の軍記物に引き継がれて現在に至っている。ただし、この名前自体が長くその他の資料での所見が無く、その存在が疑問視されていた。昭和44年(1969年)発見の『市川文書』にてようやくその存在が確認されたが、それでも甲陽軍鑑に描かれるような軍師ではなく、伝令将校のような役割を果たす人物であった(とはいえ、それなりの力量と識見がなければ務まらない役割であることもまた事実であり、『甲陽軍鑑』の原著者が彼のこうした役割を承知の上でイメージを膨らませた可能性は十分に考えられる)。本稿では『甲陽軍鑑』の記述に基づき構成するが、厳密に扱えばフィクションの登場人物の項目に記載されるべき人物と言えるかもしれない。

(-o-)/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%8B%98%E5%8A%A9

質問した人からのコメント

2006/11/10 12:43:31

成功 やはり伝令将校見たいな役割でしたか。

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san********さん

2006/11/1012:16:57

勘助の話はほとんどが江戸時代に後付でしかもウケ狙いで書かれた
甲陽軍艦という本に出てくる話です。実在については現存する信玄が出した手紙の中で
"山本勘助(勘は違う字だったと思います)を使いに出した"
というような表現があったので実在はしていたのだろうということです。
それ以外は何も解っていないようです。
しかし 勘助だけでなくほとんど解ってないのに
後付の話で有名になってしまった人はたくさんいますよ。

mep********さん

2006/11/1011:44:47

山本勘助は実在しない、創作された人物像です。
ですからスパイかどうかの詮索も無意味です。

弘法大師さん

2006/11/1010:56:41

スパイ説もありますね
新田次郎先生は 二重間者としての山本勘助を描いていますね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実際のところは わかりませんが もしも二重間者であったとしても
信玄のもとで 自分をいかそうと その才能を惜しまず発揮したのではないかと思います 私見ですが

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