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平安時代などは大臣や大納言などが朝廷の政治を話し合って決めていたわけですよね...

senngokunokyousyuuさん

2013/2/2022:34:10

平安時代などは大臣や大納言などが朝廷の政治を話し合って決めていたわけですよね。そこで質問なのですが、江戸時代には大名が大納言や中納言に就いているわけですが、朝議?はどのようにして行われていたのですか?

官位が不足していますよね?

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matsudaira13さん

2013/2/2105:28:26

江戸時代の武家は、禁中並公家諸法度の第7条「一 武家之官位者、可爲公家當官之外事。」の規定に基づき、武家に叙任さ れる官位(武家官位)は、律令の規定に基づいた官位(官職)とは、定員外となりました。その武家官位は上位から、権大納言、権中納言、参議(宰相)、権中将、権少将、侍従、四品、五位があります。
したがいまして、官職に権官(定員外の官職)がある場合は、それが武家に叙任されました。たとえば、徳川光圀は、中納言ではなく「権中納言」に叙任されました。ただし、権官がない太政大臣、左大臣や右大臣、内大臣、侍従は、そのまま叙任されました。たとえば、徳川家康や家斉は太政大臣、家光は左大臣に叙任されています。
ただし、このように叙任された武家官位は朝議には参加しません。あくまで武家官位は公家官位とは別物であるという考え方で、武家の序列に活用されました。また、家康や家斉の太政大臣叙任には、「内覧宣下」を伴っていないので、朝議参加(律令本来の政務執行)はできないという考え方もできます。
いっぽうで官位と称している以上、武家が参内する際には侍従以上の官位を帯びていないといけません。四品(従四位下散位という意味です)や五位(従五位下散位という意味)では、官位が低すぎるのです。いわゆる地下人ですね。これは公家官位の性格を継承しているといえましょう。

質問した人からのコメント

2013/2/25 23:11:54

降参 ありがとうございました。長年の疑問が解決できてうれしいです。

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