ここから本文です

ナポレオンの初代皇后ジョセフィーヌが後に離婚したのは ジョセフィーヌが1/4...

min********さん

2013/3/2123:24:56

ナポレオンの初代皇后ジョセフィーヌが後に離婚したのは
ジョセフィーヌが1/4黒人の血が入っており、外見は白人ですが家臣や親族が「黒人女の皇后など認められるか」
、「黒い肌の皇太子が産まれても

我々は跡取りとして認めんぞ」と反発したからですか?
19世紀の白人にとって人種差別は当然だったので親族も家臣も罪悪感はなかったと思います。
ジョセフィーヌは先夫との間に子供がいますし、ナポレオンも後妻や妾との間に子供がいますので二人の生殖能力に
問題はないと思いますが。
新王朝の基盤を固めるには一日も早く後継者を作る事は皇帝(国王)の義務みたいなもんですし。
二人とも「黒い肌の皇太子」を恐れて子作りしなかったのでしょうか?

補足大デュマの父である、デュマ将軍は1/2黒人ながら将官にまで出世しました。しかし、デュマ将軍の死後、「黒人の妻子に遺族年金はやれん」と言って残された妻と大デュマは遺族年金を貰えず貧しい少年時代を過ごしましたが。
大デュマはジョセフィーヌ同様、1/4黒人ですが彼女と違って黒人の風貌だったのでフランス人なのに「賤しい黒人」として差別に苦しんだそうです。白人の風貌を持つジョセフィーヌとは対照的な人生です。

閲覧数:
1,668
回答数:
3
お礼:
100枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

2013/3/2200:04:30

ジョゼフィーヌの娘(オルタンス)とナポレオンの弟(ルイ)の息子がナポレオンの後継者(ナポレオン3世)だった訳ですが、、、、、、
皇帝即位時点でジョセフィーヌは44歳、当時としてはかなりの高齢です
出産に耐えられるとはちょい思えません
だからオルタンスとルイをくっつけた訳ですが

質問した人からのコメント

2013/3/28 07:25:20

降参 ありがとうございます。ジョセフィーヌには年齢的に出産は厳しいですね。
新王朝の基礎固めには絶対実子を作る必要がナポレオンにはあったでしょうし。
家柄もさることながら多産家系のハプスブルク家の姫に目を付けたのは当然でしょう。

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

わっかさん

2013/3/2217:22:15

人種差別はあまりなかったみたいですね。アレクサンドルデュマ将軍は、ハイチの奴隷とフランス人侯爵の私生児で、ハーフでしたが、ナポレオンの下で大活躍。その息子のアレクサンドルデュマは黒人とのクオーターですが、三銃士や岩窟王でおなじみの大作家ですよね。
これらの例を見ると、19世紀後半以降にあるような人種差別は、ヨーロッパ内部ではかえって色濃くなかったのかも。植民地では酷かったんでしょうけどね。

der********さん

2013/3/2207:04:11

人種差別的な理由ではなく、ただ単にジョゼフィーヌが不幸にも子供が産めない身体であったことです。

ナポレオンは密かに、自らの帝政を守るためには、かつてバラスが厄介払いに押しつけたお古でありながら北イタリアまで呼びつけたジョゼフィーヌを離縁し、ヨーロッパの由緒正しい王室の女性と再婚し、子女を残さねばならぬと考えます。
そのために、ティルジット条約で一時休戦状態にあり、オスマン帝国とヴェッサラヴィアをめぐり戦争状態にあったロシア帝国皇帝アレクサンドル1世の妹パヴィロヴィナに焦点を絞りますが失敗します。

ここに目をつけたのがオーストリア帝国宰相メッテルニヒ。
度重なる敗戦で不況が慢性的となり、フランスによる傀儡国家が次々成立し、周辺のライン同盟諸国はフランスに恭順を誓い、破滅的状態に陥ります。
そこでメッテルニヒはかつてパリ駐在大使であり、この時は更迭されていたタレーランと親しいことから、主君フランツ1世の長女マリー・テレーズを、ちょうど外交革命でブルボン家に嫁がせたマリー・アントワネットの如く、コルシカの赤鬼ナポレオンに嫁がせ、帝国の安堵を打診。

実に絶妙なタイミングで皇帝の再婚が進みますが、今度のいきさつを考慮すればメッテルニヒは実に計算高い策略と考えられます。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる