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分け入つても分け入つても青い山、のどのあたりが名句なんですか?

and********さん

2013/3/2312:40:03

分け入つても分け入つても青い山、のどのあたりが名句なんですか?

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taroさん

2013/3/2314:46:00

私は山頭火には深い感銘を受けたものです。
山頭火の句は何の技巧もけれんもない、ただ放り出すように詠むのが特徴です。この句も、山路を分け入っても分け入っても青い山が続いている。そのことに何の人生哲学もないし、歩く目的もない。象徴もないし、要するに何もないのです。

生きることの目的や意味を探すのが生きる目的である、と考えている人には山頭火はわかりません。ただ生きている、ただ歩いている、ただそれだけなんだと悟った瞬間に我々の心から憑き物が落ちて、生そのものの姿が忽然と立ち現れてくる。それが山頭火のたどり着いた境地でした。
一切放下と四字熟語で言えば簡単ですが、それを体で示してくれたのが山頭火なのです。

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wak********さん

2013/3/2600:00:17

山頭火は現代人にとって魅力的な人物であり、その句も魅力的と思います。
名僧というよりむしろ情けない風情で、それが淡々と托鉢と作句の旅を続けることに一種の憧れも感じたりします。
簡素でストレートな作風は、それゆえに受け取る人の内情によって味わいが深まることもあり、普遍的なものとなっているようにも思います。
無作為の才能なのか確信の作為なのかよくわかりませんが、句は的確でうまいと思います。

この句は、托鉢のたびに出るときに作った句らしいです。
僧なれば何がしかの達観・会得を目指したのかもしれません。
その扉の奥は深い深い世界だったでありましょう。
そんな不安やたじろぎ以上にこの句からは伸びやかな明るさが感じられ、旅立ちにふさわしい高揚感が感じられると思います。
名句かどうかは私にはわかりませんが。

win********さん

2013/3/2314:45:24

私の解釈
いくら物事を極めたつもりであっても、その向こうにまた未知の広がり(山)がある。それを超えてもまた山・・・・々。はるか向こうに青い山が見えるのだけれど、そこには行き着くことが出来るのか・・・・ この人生のたとえを誰にも経験のある山ゆきの比喩にしたところがすごいところだと考えます。作者の果てのない放浪の姿も見えるようです。「山のあなたの空遠く・・・・」ですね。

jaz********さん

2013/3/2313:01:30

山頭火、、別に名句じゃないよ、有名なだけ。山頭火は俳人ではない、彼の作品は俳句でないう人もいる。私も少し俳句をやるが、山頭火の句はざっと読んだだけ。名句と言われるのは何故?山を人生に例えて、、人生の奥深さを知る。放浪の旅をする山頭火、、先の見えない、どこまで行くのか、この私は?、、一般的な解釈はあるでしょうが、、私は、上記のように受け取りました。笠に蜻蛉をとまらせて歩く、、これも山頭火、、。

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