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大坂夏の陣で、黒田長政・加藤嘉明の秀吉に強い恩を受けた二人が徳川軍として参戦...

red********さん

2013/3/2522:56:05

大坂夏の陣で、黒田長政・加藤嘉明の秀吉に強い恩を受けた二人が徳川軍として参戦したらしいですが、
この二人はどの位の兵力だったのですか?

補足不明というのも不思議ですよね。客将のような扱いで、わずかな近臣と共に何処かの大名に付属させられ、本陣に詰めてたくらいなものなのでしょうか?黒田家・加藤家としての参戦は息子が藩の兵を率いて戦ってたのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2013/3/2708:40:33

この2人、兵力がどこを見ても不明となっております。
黒田長政は、戦後に『大坂夏の陣図屏風』を描かせていますから、参戦していたんでしょうけど、加藤嘉明はそもそも参戦していたかが不明です。

〇補足について
(参加していたとしたら、)客将としての使いだったと思います。黒田長政は屏風に、一の谷兜を被った自分を描かせていますが、加藤嘉明はここには描かれていません。という事は加藤嘉明は参加していないという可能性も捨て切れませんが、ウィキペディアでは、黒田長政も加藤嘉明が徳川秀忠の直下として参戦していたという事が書かれてあります。直下に居たという事は、自分の軍ではないので資料に残る事もありません(2人の軍勢は秀忠軍の軍勢に加えられていると考えられる)。
だから、黒田長政も加藤嘉明も軍勢が資料に書かれていなかったのだと思われます。また、屏風に長政が載っているのは、当時屏風を作る際、作成者を誇示するために製作されたからだと思われます。有名な『関ヶ原合戦図屏風』(彦根城所蔵)では、製作依頼者が井伊氏の家臣の為、井伊直政軍が誇示されているし、別の『関ヶ原合戦図屏風』(大阪歴博所蔵)では、製作依頼者が、徳川家康の養女の満天姫(福島正則の養子の妻)だった為、養父の家康軍や夫が居た福島軍が誇示されています。また、時代は古くなりますが『蒙古襲来絵詞』(宮内庁所蔵)では、竹崎季長が製作依頼者の為、竹崎が奮戦している姿が誇示されています。
屏風を作る際は、必ず自軍を誇示するのが普通だったようです。

質問した人からのコメント

2013/3/29 08:36:57

降参 成る程!くわしくありがとうございます

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