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大名の側室というのは、いわゆるお妾さんではなくて、第二夫人、第三夫人といった...

rit********さん

2013/6/2405:15:27

大名の側室というのは、いわゆるお妾さんではなくて、第二夫人、第三夫人といった地位だったのでしょうか?

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p2x********さん

2013/6/2412:07:53

井伊直孝も井伊直政の側室の子供です。正室とほぼ同時期に妊娠し恐妻家だったので、10歳になる頃まで認知もされずにいましたが、嫡男の井伊直勝が病弱で大阪の陣に名代として参加し、彦根藩を継ぐように命じられ異母兄は上野国安中藩3万石を分知されています。
また、熊本藩の細川家も側室の系統が、養子になる形で熊本藩を継いでいます。細川護煕元総理もその血筋で、細川ガラシャの血は引いていません。

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san********さん

2013/6/2411:07:30

側室の扱いは家によって様々でしたが、公式には「女中」(使用人)で、お世継ぎの母も同様でした。産んだ子が家督を継げば、「生母」として家族扱いになったそうです。それでも「嫡母」(父親の正室)よりは下でしたが。

cre********さん

2013/6/2409:43:06

江戸期の大名限定の話なら、大名の夫人=正室は江戸常住を義務付けられて居るので、中には一度も国許に行く事無く亡く成る人も居たと言う事です。
運が良くても、夫が亡く成るか隠居するかで大名の生母と言う事に成って、初めての地元入りと言う事に成るのが"普通"と言えば普通だった様です。
此の間、大名の地元妻の"役目"を負う事に成るのが側室と言う事に成る訳です。
場合に拠っては双方に子女が居る事も在りますが、江戸在住の男子の第一子が嫡男=世継ぎとしての幕府の認知を受ける事に成ります。
普通なら此れで順当に行くのですが、地元妻の側室が江戸の嫡男を押し退けてでも自分の息子に跡を継がせたいミタイな事を考えると、幕末期薩摩の"お由良騒動"見たいな話に成って来る訳です。

(|…o±\o

mug********さん

2013/6/2405:31:49

そうですよ。妾は日陰の身分の場合が殆どですが、大名の側室は正室もそれを認めている言わば公認です。しかし身分的には正室の下位に置かれ、家の相続に関しても正室の子が嫡男となるのが普通で、側室の子は待遇的に恵まれないことも多いです。

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