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荊州失陥したから蜀は終わったって言う人がいますが、荊州があったら何か変わった...

pet********さん

2013/7/2921:13:07

荊州失陥したから蜀は終わったって言う人がいますが、荊州があったら何か変わったんですか?

魏vs呉蜀
こんな体制で、荊州が呉から蜀に移ったって、総戦力差はなんにも変わってないのだから

、結果は変わらない気がするんですが、違うんですか?

しかも蜀が荊州持ってたら、ずっと呉に荊州狙われまくって、逆に良くない気がするんですけど

補足???
えーっと、荊州が重要なのは分かってます
言いたいのは、魏の打倒が最終目的なら、蜀が持ってても呉が持ってても一緒じゃないですかってことです
蜀と呉で組んで、魏と敵対してるんだから

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kou********さん

2013/7/3019:13:52

まあ、ほぼ変わらないでしょうね。

蜀としては、北伐戦で多少、戦略が豊富になる、という程度で・・・。


蜀と呉は、基本的には同盟堅持です。
呉が荊州を奪ってからの数年は違いますが。
呉にしたって、魏にどう対抗するかが最大の課題だったわけで。
呉と蜀が争えば漁夫の利は魏にあることは孔明だって孫権だって分かっていました。
だから劉備の死後、両者はあっさり和解しているのです。

また、経済力という点では、軽視するわけではありませんが、当時の南方はまだまだ人口過疎地でした。
人口=経済力(農業生産力)ですから、この時代は南部が北部を支える、という構図ではありません。
三国~南北朝時代にかけて、南部の開拓が進んで、隋唐時代に繋がっていくのです。
まあ、この時代、益・荊・揚でだいたい南部の国力が三等分と思えばよいですが、その南部の総国力は北部(中原地方)の半分程度です。

そんなちっぽけな荊州を奪い合って国力を疲弊させている場合じゃないからこそ、孔明は荊州の領土問題を無視してでも呉との同盟を再開したわけです。


しかしまあ、呉蜀同盟の国力は魏の半分程度ですから、荊州をどっちが領有していようと不利は変わりません。
蜀が荊州を領有していれば、呉と蜀の国力の関係が反対になりはしたでしょうけど・・・。
また、それで呉がずっと荊州を狙うかどうかもわかりませんし。
まあしかし、呉には孫権と陸遜で揚州・荊州を押さえることができましたけど、蜀では諸葛亮の他で荊州を押さえることのできる人材がいたかどうか疑問なので、陸遜がいる分、呉が荊州を押さえていた方がよかったかもしれません。

質問した人からのコメント

2013/7/31 23:01:20

降参 m(_ _)mなるほど・・・

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par********さん

2013/7/3006:12:45

蜀から荊州を奪ったのは呉でしたが、その際も、呉は魏と連携
しています。

赤壁以降、呉と蜀が連携して魏と対峙したというのは形式的で、
悪く言えば、呉が警戒したのは魏よりも蜀であったと思います。
もうひとつ言うと、呉に魏を倒そうという意思はありません。
呉にしてみれば、「蜀の拠点を奪い、魏の防衛線にする」という
考えでしょうし、蜀にしてみれば、「荊州を南方向からの魏への攻撃
拠点にする」魏にしてみれば、「蜀に渡すよりも、呉にしばらく持たせ
ておけば安心」という考えでしょう。

もし、本気で呉蜀が魏を倒そうと連携していれば、結果は違ったかも
しれませんが、呉にすれば、天下統一を狙うにしても、リスクを冒して
最大の強国の魏から倒そうという考えは、到底持てなかったはずです。
魏が動けば、呉蜀で防衛し、蜀に対しては呉魏で連携し、三国並立と
いう形に近く、呉蜀で魏と敵対していたということにはなりませんでした。

つまり、荊州の所有者が魏になれば、特に呉にとって危機。呉が所有
すれば、魏にとって安心。蜀が持てば、魏にも呉にも脅威と映ったのでは
ないでしょうか。

zev********さん

編集あり2013/7/3000:29:05

荊州の経済力は重要です。

三国時代当時でも十分な経済力がありましたが、その潜在的価値はもっとありました。

というのも、後の中国の経済は、江南(つまり、荊州もふくむ)が支えることになったからです。
呉をはじめとする六朝が江南を開発し、隋の煬帝が南北を結ぶ運河を完成させたからこそ、唐や北宋の繁栄があったのです。
事実、唐は安史の乱で滅びかけましたが、江南に戦火がおよばなかったゆえに滅亡を免れた、ともいえるのです。

国の首脳クラスなら、各地の地図、地勢、人口、耕地面積などのデータを比較できますから、ある程度優秀な政治家ならば、荊州の潜在能力も理解できるはずです。

もうひとつ。
中国では、南北で農業の様相が違います。
北部は比較的雨が少ないので、麦作(と牧畜)がメインとなります。南部は、雨量が十分で水源も豊富なので、米作が中心となります。そして実は、単位面積あたりの収穫量では、米の方が多いんですね。
また、南部は比較的あたたかいので、二期作二毛作も不可能ではありません。

この将来性と農業事情までふくめて考えると、やはり荊州の重要性は揺るがないんですね。
呉をどうやって降すか、という問題はありますが、長期的に南北で対峙するのは、別に不可能じゃないんです(実際、その後の史実ではそういう局面が少なくありませんでした)。

捕捉に対して:
その場合ですと、魏を倒したあとに、天下全体でどちらがその後の主導権を握れるか、が違ってくるはずです。

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