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「カティンの森」 アンジェイ・ワイダ監督

mij********さん

2013/9/1916:10:09

「カティンの森」 アンジェイ・ワイダ監督

カミヤさん、復帰されて良かったです。
カミヤさんが、入院されている間、以前のID時のご回答や以前に私が悩んでいた時にいただいたメールを改めていくつか読み返していました。
カミヤさんの真心の言葉に触れると、目頭が熱くなります。大好きなカミヤさんが復帰してくださったことは私だけでなく、多くの人にとって幸せな事です。感謝します。今後ともよろしくお願いいたします。
映画の解釈に移ります。

この作品からは、アンジェイ・ワイダの祖国愛とやる人間・やらない人間の違いを強く感じることができました。

本作品で特に印象的であるのは、自分の命惜しさにカティンの森事件に関するソ連の虚偽を信じてのうのうと生き延びる人間と、祖国や家族を心底から愛しカティンの森事件の真実を胸に抱き闘い続ける人間との対比でした。
後者の人間達、例えば軍のために全人生を捧げカティンの森事件に関する詳細な記録を残したアンジェイ大尉、その妻のアンナ、彼女の甥で履歴書に真実を書いたタデウシュ、パイロットの操縦士の妹でお墓に真実を刻んだ女性、この人たちが「やる人間」で、実にカッコいい生き様でした。この方々の大部分は、死んでしまいましたが、これこそが「やる人間」の最後の姿なのだと思います。カミヤさんは死ぬことは悪い事ではないとおっしゃりますが、まさに彼らの死がそうであると確信します。自らの価値を貫き死んでいったのですから。

真実を胸に、命を惜しむことなく、自らの価値を貫いていく人間達の魂から感動をもらえる映画でした。

【質問】
以上の解釈はいかがでしょうか?
カミヤさんの解題をお願いいたします。

蛇足ですが、カミヤさんが入院されている間に色んな映画を観ました。「プラトーン」「ドライビング・ミスデイジー」「サルバドル」「デルス・ウザーラ」「フライドグリーン・トマト」「我が谷は緑なりき」「華麗なるギャツビー」・・・・。
全部大好きになったんですが、特に「我が谷は緑なりき」は最高でした。炭鉱夫のカッコ良さ、あの厳格な父親であるギルムと彼を支える妻のべスと牧師のグリュフィードの生き様は感動的でした。

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nur********さん

リクエストマッチ

2013/9/2020:57:37

心配をかけて申し訳ないな。
まだしばらくはゆっくりとやる予定だから、回答がすぐには出来ないこともあるから、そこはよろしく頼むな。
それで『カティンの森』だけど、君の解釈はそのまま素晴らしいものだよ。
この事件は長らくナチス・ドイツの仕業とされていたんだな。しかしワイダはそれに疑問を抱き、生涯をかけて事件の真相を追いかけていたんだ。彼が映画監督になったのは、祖国ポーランドへの深い愛情の故だが、その中心にあったのは自分の父親が虐殺されたこのカティン事件の真相を追うためでもあったそうだな。
誰に殺されたのか。何故殺されねばならなかったのか。そのことが、常に外圧に虐げら変動をしてきた祖国の悲しみと繋がっていたんだよ。
しかしポーランドは戦後ずっとソ連の支配下にあったわけだ。だからソ連が事件に関わっていたということは誰も言えなかったんだな。また真相に近づくことは、自分の危険をも意味していた。
でもワイダはそこに突っ込んで行った。そしてソ連が崩壊し、ワイダは真相を掴むことが出来た。それをこうやって自分自身の手で映画化することも出来たんだな。
ワイダの映画は決して複雑な筋は無いんだよ。それは長編処女作である三部作からずっとそうだった。
この『カティンの森』はワイダの作風の中でも、ちょっと異色なんだな。結構筋書きが込み入っている。大勢の人間を登場させ、時間も長い範囲に渡っている。
そのことが、ワイダのこの事件に対する深い情熱を表わしてもいるんだな。
ワイダはこの作品の中で、祖国愛を持ち、連綿とそれを受け継ぎ実行する人間を描いている。そこに人間の情熱、自分が求めるポーランド人の真の姿というものを描き出しているんだな。
それは君の言うように、「死を容認する生き方」なんだよ。
人間は死ぬのな。必ずそうなる。だから死ぬまでどう生きるのか、という問題が人生になるんだよ。
生きればいいという者たちは死ねないんだ。生きるためにどんな卑劣なことでもするし、崇高にはならないのな。
崇高とは死を容認することが根源にあるんだよ。自分を捨てて何事かを為そうとする生き様が崇高になる。
これは現代人には難しい問題だけど、そうなったら死ぬことも厭わない、というのでは実はダメなんだよ。生死の問題は常に自分から離れていないと崇高にはならない。
自分がやるべきことをやる、という生き方でないと、崇高さは生まれないんだな。常に死を求めた武士が崇高であった謂れはここに存するわけ。
常にそうだから、損得は自ずと自分から離れていくんだよな。
損得は考えると憑かれるんだよ。それは動物本能として人間に最初から備わったものだからなんだな。
しかし人間は動物ではないのだから、そこから如何に離れるかということが「崇高」ということなんだよ。
ポーランドは歴史的にあまりにも悲惨な運命を辿ってきた。だからこそ、アンジェイ・ワイダのような骨太で深い愛情を持った人間も生まれるんだな。
いい映画を観ているようだな。またゆっくりと話そうや。

質問した人からのコメント

2013/9/21 01:32:03

素晴らしい回答をありがとうございます。
>生死の問題は常に自分から離れていないと崇高にはならない。 自分がやるべきことをやる、という生き方でないと
「死ぬことも厭わない」と考えるのは、まだ生死の問題から離れられていないというのはズシンときました。役目に没頭する人間は、自分のやるべきことしか考えていないと。
回答の件、承知いたしました。ゆっくりと質問をさせていただきます。
ご回答、ありがとうございました。

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