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ヴィパッサナー瞑想、マインドフルネス瞑想をやっている方に質問です。 呼吸の鼻...

pap********さん

2013/10/712:53:03

ヴィパッサナー瞑想、マインドフルネス瞑想をやっている方に質問です。
呼吸の鼻の部分に意識を集中すると気が頭にたまっている感じがします。

そのため、長時間行うことができません。
長めにやるとその分日常生活で緊張しやすくなったりします。

皆さんは、そのようなことはないでしょうか?

補足皆さんありがとうございます。
仰る通りで、色々とやり方を変えてみたいと思います。

それと、「気」の観点から解答頂けると助かります。

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giemuuさん

編集あり2013/10/1210:19:29

補足につきまして


それではもう少し詳しく
まず
気のルートから大雑把に述べます。
体の正中、尾骨から入り頭頂へ抜けるルートが1つ。
そのとき頭部に向かいながら、同時に骨盤や腰椎から足先へ、胸椎や首から手先へ向かいます。

あとは頭頂や眉間から抜けて前を通り、また尾骨に入るルートが1つ。

大きな流れはこの2つです。

あとある程度蓄える部位として、下腹部の下丹田(第二チャクラに相当)、胸奥の中丹田(第4チャクラに相当)、頭部額奥上丹田(第6チャクラに相当)があります。

上記の流れがあり、基本的には、流れているので、本来特定部位を強く意識する必要はないものです。

ただ、
基本的な部分ではまず下腹部に集まりそこから糸のように全身に配置されるものなので、全部を鼻に持っていけば、それは頭に溜まるのも当然です。
ですので基本は下腹部におきます。
その上で少し鼻を意識し、あとはほっとくくらいが、ちょうど良い、気の配分になるのです。

・・・・・・

バランスよく身体各部に(自然と)意識を配分できている上で、の鼻の意識が大事です。

本当に鼻の部分だけ意識すると、だれでも頭に意識、気があがってしまいます。

意識というか気は、大方下腹部に修めるものです。


実際に検証してみるといいですね。

臍を出して座ります。
自然と意識は下腹部に落ちてきます。

その上で、鼻の部分に意識します。

そのときは気が下腹部に満ちたままなので、姿勢も安定しています。気が下腹部を中心に満ちているときとは、重心が下にある、つまり上体に力みがないことと同義なので、日常緊張するということがほとんどありません。

誰か、たとえば身近な方に押されたとしてもびくともしません。

質問した人からのコメント

2013/10/13 22:20:30

ご丁寧にありがとうございます。
経典には、身のみありとの念が彼におこる、それは念の増大のため、智恵の増大のためになる。と説かれています。意識を分散するようにはかかれていないので、そのあたりが疑問です。。。

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nuk********さん

2013/10/1023:51:03

前にも同じような質問をされた方に答えた内容なんですけども。

自分が呼吸をみるということは裏を返せば 「自分をおとなしくさせようとしているのに、呼吸をみることで自分が呼吸を見ようと自分が動いてしまっている」という状態です。だから呼吸をみようとギュッと集中すると緊張などがでやすくなります。

対処としては「窓の外に流れる雲をただボーっと眺めてるだけのあの状態」部屋の中や教室の窓からボーっと眺めて見てるでもない、見ないでもない、ただ映る雲が見えている。自分が見るんだ!という状態は自我があり、見えているには受動的つまり私が見るんだ!が無い状態になります。私がいなくてもカメラのレンズ、つまり肉眼には映りこむ、呼吸の人中に息が触れたとき、このように眺めていればいいと思います。

これは気とかそういうものではないです、呼吸の瞑想は自分という自我が行うと途端に失敗するので自分を捨ててやらなければなりません。
ヴィパッサナー瞑想は四念住の身・受・心・法を見ていく瞑想ですがこれは自我、つまり自分が動いている状態で観察してもヴィパッサナーで悟ることはできません、悟りとは例えるなら「蛇だと思っていて近づいたら実はただの縄だったと悟る」というようなものです。

悟りはわたしたちのおかしい心の状態を滅していくので、そのおかしい煩悩がある自我がいくら観察しても、心がおかしいからいくら近づいてみても蛇だと見てしまい「現象」を捉え悟ることはできません。

もしあれでしたらマインドフルネスのほうを優先的にやってみてください。アナパナ瞑想は基本難しいので後回しでもいいと思います。わたしも最初はアナパナはほとんどやりませんでした。

普通に学校や社会生活を生きている人の場合は普段の生活のトラブルや色んな出来事で自我が嫌でも動いているので呼吸を見ることすら難しいものです、ですからマインドフルネスで心が常に「今」を見ている常態へもっていくようにするといいと思います。過去や未来ではなく、今ここ。 過去や未来は実際「思考」するとでてきます、ということは実際は過去も未来も自分の思考が作り出しているということです。

このような心の状態ではなかなか呼吸を見ることはできません、見ようとしてもすぐに過去や未来へと思考にひっぱられて自我が動いてしまうからですね。ですから先にマインドフルネスで今に近づいてみてください。マインドフルネスは思考から離れて五感、とくに体の感覚や、自然の音を「今」鋭敏に感じていくようにするとよいと思います。

マインドフルネスをしているときは頭は非常に鋭敏に動いていますが、その鋭敏さゆえに思考は静まっていきます。
マインドフルネスが活発でも思考は静まり鋭敏さが増していくにつれ静寂になり心が止まれば、ヴィパッサナー瞑想になり悟りに近づくと思います。


ご参考までに^^

編集あり2013/10/1304:27:13

>呼吸の鼻の部分に意識を集中すると気が頭にたまっている感じがします。

多分、重く感じられるのでしょうが、トランスによる感覚の変化です。催眠でも起こります。

「気」という概念で解釈されると、良くないような気がします。

その感覚自体を観察すれば良いと思います。

どうしても気になるなら、イメージを使って鼻から、あるいは頭頂部からエネルギーを出すところを想像すればよいと思いますが、チベット仏教などの瞑想(一種のサマタ瞑想)になる気もします。

>そのため、長時間行うことができません。
>長めにやるとその分日常生活で緊張しやすくなったりします。

緊張したら、緊張を観察すれば良いのではないでしょうか。

何が起ころうとそれを観察すれば良いのですから、ヴィパッサナー瞑想には失敗があり得ないのではないかと個人的には思っています。

>皆さんは、そのようなことはないでしょうか?

僕はないですね。

+++

「気」というものの存在を僕は信じていません。

大東流合気武術の佐川幸義師範は、唯一人合気を使えましたが、気の存在を完全に否定していました。

中国の意拳創始者の王薌齋も、「気」は否定したと言われています。(後に弟子が増えて説明が面倒になった時期に言い始めたと言われています。)

僕自身、站椿や瞑想で「気の感覚」は感じられるのですが、「気」の存在は信じていません。

自己暗示と生理学的な条件によるものだと考えています。

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