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大坂夏の陣について 「米五升、干鯛一枚、並びに糒樽、その外味噌、鰹節、香ノ物...

d73********さん

2013/10/1300:20:07

大坂夏の陣について

「米五升、干鯛一枚、並びに糒樽、その外味噌、鰹節、香ノ物、右の通相応に持たせ参るべし。此外は少も持参つかまつる間敷」(武辺咄聞書)

「今度は手間もいるまじく候間、惣軍小荷駄も無用につかまけり、三日の腰兵糧ばかりにて罷り出づべし」(大坂御陣覚書)

前述した逸話を見ると徳川家康は大坂夏の陣は短期決戦と踏んで出陣しているようです。

家康は豊臣方が冬の陣のように大坂城に籠城する事は考えていなかったのでしょうか?
それとも例え籠城したとしても一気に攻め滅ぼすつもりだったのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

2013/10/1306:23:18

冬の陣の和睦条件で、外堀を埋めていましたし徳川方には、もう充分、落とせる青写真もできていたはずです。

質問した人からのコメント

2013/10/19 17:41:27

回答ありがとうございます。
仰る通りとは思いますが、何が起きるか分からない合戦の支度にしてはやや軽率ではないかとも思います。
もっとも「大坂御陣覚書」は後世に書かれた可能性が高いので「事後」の事とも考えられますが。
他の方も回答ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

zun********さん

2013/10/1300:33:36

大坂城は外堀、内堀の一部、それらに伴う城壁まで破壊されており、
そもそも数万の豊臣軍が籠れる城ではなくなっていました。

急造の土塁や柵で守るという手もあるでしょうが、堀を直す時間までは
なかったのか。あるいはこれで和睦が成ったと信じていて、防備を
再度整える意思が初めから無かったのか。

ともかくも大坂方は、まずいと思った時には徳川の先鋒が京まで
来ており、裸城のままで徳川軍を迎えることになります。

外壁も堀も無い城では、敵の雨のようを鉄砲、大筒が容易に味方を
襲います。
こうなると、大坂城での軍議は「出戦」でまとまり、大和方面から
向かってくる徳川軍をやたらと攻撃します。

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