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神聖ローマ帝国の皇帝の権限は三十年戦争後は完全に名目的になりましたが、三十年...

chi********さん

2013/11/2712:49:21

神聖ローマ帝国の皇帝の権限は三十年戦争後は完全に名目的になりましたが、三十年戦争以前は領邦国家、帝国都市にかなりの権限を委譲して弱体化していたのにもかかわらず、それなりの権限があったのですか?

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kak********さん

2013/11/2715:50:32

こんにちは

>それなりの権限があったのですか?

そもそも、神聖ローマ帝国自体が各々に割拠する独立性の高い諸邦の集まりです

ハプスブルク家が、神聖ローマ皇帝位を世襲する頃には、皇帝の権限は有名無実な存在でした

しかし、帝位を世襲したハプスブルク家自身は帝国の大きな部分(オーストリア大公領、ボヘミア、ハンガリー)を直接支配していましたが、あくまでハプスブルク家としての支配であり、神聖ローマ帝国皇帝の権限=ハプスブルク家の支配地域と説明したほうがわかりやすいです

神聖ローマ帝国は他に、ドイツ方面(バイエルン、ザクセン、ブランデンブルク、プファルツ、ヘッセン方伯、トリーア大司教、ヴュルテンベルク)を含み、その他にも公領、自由都市、修道院、司教領主、小領主といった膨大な数の諸邦がありましたが、三十年戦争の中心となったドイツ方面に新教徒が多くいた事実が、カトリックの守護役のハプスブルク家の権限が有名無実に近い存在だったことを証明していると言えます

三十年戦争前に神聖ローマ帝国皇帝の権限が及んでいたのは、ハプスブルク家の支配地域のみと言えるでしょう

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osm********さん

2013/12/217:43:34

ハプスブルク家オーストリアは神聖ローマ帝国解散後は、ほぼ同領域の諸邦で
結成された「ドイツ連邦」の永久議長国を約60年間つとめますが、神聖ローマ皇帝
時期の権威と権限も、まさに「議長」的なものにすぎなかったといえます。所属の
領邦と戦争しているぐらいですから。
その間、神聖ローマ帝国は名称を「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」と改め、ドイツ
民族の国家連合体であることを強調するようになりますが、皮肉なことに本領の
スイスに離反されたハプスブルク家は、その東南角に位置することになり、領土の
増大は非ドイツ人人口が半数を遥かに超えるという現象をもたらしました。もちろん
バルト、ポーランド方面に慎重していったプロイセンやザクセンにもこれに近い現象
が見られたとはいえ、ほとんど多民族支配国家と化し、それらを強権的にドイツ化
する政策も十分に進まなかったオーストリアは、急速に国民国家意識の高まる
ドイツの中でリーダーシップを失ったのです。
それでも、統一主導権を巡る最終決戦が、ドイツ連邦による、これを離脱したプロイ
センに対する宣戦布告という、いわば「普独戦争」の形で始まったことは、オースト
リアの盟主としての権威を示す最後の光芒でした。それも、次々と離反が続き、戦
後は最終的にすべての加盟国がプロイセン側の新連邦に加わって、オーストリア一
国のみがドイツから締め出される結果となってしまいます。

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