今川義元は「海道一の弓取り」なのですか?

今川義元は「海道一の弓取り」なのですか? 徳川家康が江戸時代に「海道一の弓取り」と史料で称されましたが 「今川義元」も何か「史料、資料」などで そのように呼ばれていたのでしょうか? それと昨今になって呼ばれだしたのでしょうか?

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徳川家康に関しては小牧長久手の戦いのおりに感嘆した秀吉が評した言葉として流布していますね。 さて質問の海道一の弓取りですが、私が小学生時代に読んだ桑田忠親氏監修の織田信長にはすでに記されていました。 初刊は今から三十年前なので昨今の話しではないでしょうね。 藤本氏らによる信長記の評価に疑問を呈する説が出され始めた時期にも関わらず、著名な桑田博士は旧来の考え方をなされていたかもしれませんね。(現代版小和田氏かもしれない) この書籍には今川義元の所領を三・遠・駿三ヶ国百万石の太守今川義元と記している。(江戸末期の石高を誤って記載したかもしれません) 柴田勝家を越前物主として八十万石を与えた。 覚えているのは上記三点ですが、史家が云えば信じるしかありませんね。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございます。 近代~現代になって呼ばれるようになったようですね。 そういった「異名・渾名」は意外と多いのかもしれませんね!! 本当にありがとうございます。

お礼日時:2014/1/19 15:57