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クジラ漁は、いいかげん止めた方がいいと思います。

鷲木菟さん

2014/2/1610:46:02

クジラ漁は、いいかげん止めた方がいいと思います。

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1)生物の道徳的地位について

知能が発達して人間並みの高度な自己意識や知性を持っているだろう生物には、人間と同じように生存権を認めるべきだと思います。大型の類人猿やクジラなどがこれにあたります。高度な自己意識と知性があるのなら、痛みや苦しみ、死に対する恐怖もまた人間と似たようなのものがあると考えるからです。高度に知性が発達しているなら、未来に起る事を想像して希望をもったり、一方的に命を奪われることに理不尽さをーー人間と同等とまでは言えないだろうけどある程度は--感じたりするだろうからです。そういった存在に対して、その意志に反して痛みを与えたり、殺したりするのは、不道徳な行為だとボクは考えます。これは、殺人が悪である理由とまったく同じです。

もちろんどの程度の自己意識や知性が内的に構成されているかは現代の科学ではわからないことですから、生物の種類で明確な線引きはできません。しかし今は実定法の話しをしているのではなく、あくまでも道徳的な議論ですから、明確な線引きが出来ない事で、ここでの道徳的判断の根拠が崩れるわけではありません。誰が見たってゾウリムシとイルカでは自己意識の構成や知性の度合いは違うだろうという話しを、可能なかぎり精緻に語っているだけなのです。ですから不幸にも、ゾウリムシとイルカの違いをその脳神経の発達の具合から類推できないような知能しか持っていない方は、無理に反論しない方がいいと思います。

そんなわけで、チンパンジーやクジラといった生物を観察すれば、かなり高度な自己意識や知性をもっていると考えることに一定の合理性はあると思います。極論すれば人間の自己意識だって科学的に説明できないことなのに、我々は類推によって自分と同じ意識の存在を他者に認め、その権利を論じたりしているわけですから、猿やクジラに対しても同じように考えてよいはずです。

大型類人猿やクジラなどに比べて、牛や豚、ニワトリの自己意識はかなり劣ると思います。彼らは痛みや恐怖なら感じるかもしれませんが、自分の未来について想像したり、人間に理不尽さを感じたりするだけの知性は持ってないようです。ですから、こういった生物に生存権を認めるのは難しい。とするならば、こういった生物については、痛みや恐怖を与えないような配慮をして屠殺するのなら、道徳的な問題は発生しないと思います。この配慮には経済的な負担がかかりますが、道徳的なことを考えると、もはや支払わなければならないコストであるとボクは考えます。こういった、大型類人猿やクジラとは異なる道徳的地位の動物をどのように殺し食べるかは、功利主義的に判断するしかないものといえるでしょう。

2)自由権と功利主義について

人間はクジラを食べる事ができるし、ゴキブリでも虎の陰茎でも胎児のスープでも、およそ毒でないものならなんでも食べることが可能です。しかし虎はその希少性から、胎児や人肉は道徳的に、ゴキブリはキモイという感情論で、人間が食べないものに分類するのが普通です。このように『人間は何を食料として扱い何を食料として扱ってはならないのか?』は、極めて倫理的な問題であり、そうである以上、関係者が話し合いーーこの場合は人類の総意ーー最終的には功利主義的に決めるべきものです。

ここでもしクジラの生存権に配慮せずに、クジラを食べる権利だけを訴えるのだとしたら、それは危害原理を無視して『何を食べようが私の自由だ』と言い張る利己主義というものでしょう。そういった自由の主張は人肉や胎児のスープには通じないのですから、この「人間は何を食べ何を食べるべきでないか」という倫理的な問題は、自由という道徳的権利が絶対的な基準として常に機能する性格のものではないのは明らかです(文化がどうのという話しも所詮は同じ話しなのでよく考えましょう。首狩り族の文化が自由権の問題として認められることは絶対にない)。それでもクジラだけは自由権が優先するというのでは、恣意的にすぎるというものです。

仮にクジラの生存権を棚上げしたとしても、胎児のスープを食する人々や、伝統的にそれらを販売してきた業者、飲食店などが、自分たちの美食や経営を守るために権利を主張したところで、その行為を不快に感じる人々が多いから倫理的には認められません。クジラもこれと同じことです。だからもちろん、特定の宗教を信ずる人々が世界の大多数をしめるようになれば、牛や豚を食べる事ができなくなることもあり得ます。当然、ベジタリアンとして生きねばならない世界になることだってあり得るでしょう。実際、これは人々の快/不快といった幸福感の問題、つまり功利主義的問題なのです。

世界の意見に耳を傾けてみれば、日本はそろろそクジラ漁を止める時期に来ていると思います。

※どんな反論が来るのかわかってますが、したいひとはどうぞ。

補足倫理とは人間の生き方のことなんであって、シャチは人間じゃないですよね。これは、僕ら人間は、どんな風に生きていくベキかな?という話しなのですから、シャチは関係ないんですよ。猫を虐待した動画をネットにアップして喜んだりする行為は『悪いこと』だと、僕は思うんですよね。人間の生き方として、そういうのは認めたくないんだなよなあ。だからウチの子供には、『痛がらせたら可哀想でしょ』と教育しますね。君らはしないのかね。ま、ひとそれぞれってやつなのかな。よく知らんが。牛なんかも、安楽死させてから食肉に解体してほしいですね。毛皮なんかもそうで、生きたまんま皮をはぐのは可哀想だと思います。アザラシやキツネは、めちゃくちゃ痛いはずだから。動画がようつべとかにもアップされてるけどさ、皮を剥がれた痛みでピクピクしてる、まだ生きてるタヌキとか、まじ可哀想だよ。ヒリヒリして痛いだろうなあ。どうしてそういうのを肯定出来るのか、あるいは、どうして無根拠に否定できるのか、僕には理解できないなあ。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2014/2/1702:14:58

知性による差別ということになってしまう気がします。

優生学につながる思考様式だという気がしないでもありません。

質問した人からのコメント

2014/2/21 20:55:43

漠然とした印象の告白でしかないけれども、この回答が反論としては一番マトモかなと思う。しかし、差別を問題視するのなら人間だけが権利を有する現状も問題なはずであるし、根拠として心の発達度合いという合理的基準を提示するのと、根拠もなく恣意的に種で区別しようとするのとでは、どちらがマトモなのかということを考えてみるべき。優生学については、もっと荒れるので、あえて語らないでおく。

ベストアンサー以外の回答

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fre********さん

2014/2/1610:49:52

すいません

質問ではないのでは?

tdy********さん

2014/2/1610:57:09

色々な事に結びつけてクジラを助けようとしているみたいですけど、日本のクジラ漁だけを叩いてどうするんですか?海外には国の法律で禁止されているのに違法に日本の数十倍もクジラを殺している国があるんですよ。その国を止めないと日本ごときを攻撃しても止まりませんよ?
シーシェパードは海外の国は攻撃しません。攻撃すると反撃されて危険だからです。金集めのためにポーズでやっている人間に影響されて日本の文化を貶すのはまぬけだと思いますよ。

鈴木凛子さん

編集あり2014/2/1611:22:17

ジョン・F・ケネディの弟ロバート・ケネディの息子ロバート・F・ケネディ・ジュニアはシーシェパードの熱烈な支援者。
ジョン・F・ケネディの娘がキャロライン・ケネディ。ふたりは従兄妹である。
オーストラリアもアメリカも牛肉と羊肉の輸出国。
鯨肉を食うやつは牛肉を買わないのでそいつらは悪いやつだと、彼らは主張している。

win********さん

2014/2/1611:20:01

質問は何ですか?
それと一言。切り口が「道徳的地位」なる論理的な視点でしか見ていませんか?
商業捕鯨のモラトリアム(全面禁止)によってシロナガスでなくミンク鯨が増加しています。問題は近い将来ミンクと人類が同じ蛋白源の魚を巡って取り合う事態が起こる事です。魚がいなくなってから商業捕鯨解禁してももうその時点で遅いのです。
クジラに関する系統的データで一番信頼できるのはおそらくIWCでしょう。
http://iwc.int/screport.htm
漁獲量と人口保持量と生態鯨数をよく精査して下さい。やはり理想は原始時代のバランスだと思いますよ。だとすれば、ミンクを減らすか(捕鯨)人間減らすか(あなたもね)しかありません。故に、答えはそういうことです。論理も分かりますが、地球の生態バランスの視点も大切だと思います。

「彼ら(牛、豚、鶏などの、所謂「産業動物」)は自分の未来について想像したり、人間に理不尽さを感じたりするだけの知性は持ってないようです。」

「こういった生物については、痛みや恐怖を与えないような配慮をして屠殺するのなら」



この2点をどう解決するか?という具体案を、どのようにして「総意」にまで引き上げれば良いのだろうか。

それとあと一点、「流通量の総量」を維持するために、鯨類一頭の代替として牛豚あるいは鶏が何頭/何羽、屠殺されなければならないか?」という問題ね。

自分に「近い」者を救済するために「遠い」者を犠牲にするという発想に問題は無いのか?ということだね。


欧米の文化的価値観に追従して喜ぶのはTPPの提案国だよ。
日本では産業動物の地位が下がるのが目に見えているだけだね(米豪から安価に輸入される食肉が増えれば、国内の産業動物に掛けることのできるコストは必然的に圧縮される。コストダウンの結果として、屠殺方法が改善されるわけがない)。



大前提として、検証すること無しに「これはもう功利主義で欧米に同調しよう」という発想が、狭い。

まず、功利主義を適用することの是非を検証しなよ。

おれたちにはノアの方舟は関係ないんだ。

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