ここから本文です

科学が究極まで進んだら宇宙を超える世界や、神や仏などの存在も科学で解明されま...

zon********さん

2014/3/220:26:58

科学が究極まで進んだら宇宙を超える世界や、神や仏などの存在も科学で解明されますか

閲覧数:
199
回答数:
6

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

bea********さん

2014/3/221:18:15

科学が進み、仏教の世界観がどんどん証明されつつあります。

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/5件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

sai********さん

編集あり2014/3/319:33:25

Inotinetさんへ宗教は主観の営みの話ではないですよ。

もっと勉強する必要があります。

そうでないとあなたの禅仏教も怪しいと思われても仕方ありません。

六祖慧能の本来無一物も道元の生死の巻も生命の永久持続も主観の営みですか。

あなたの様な人がいるのでマルクスに阿片と言われるのです。


我々の経験は全て識である。

外界を直接に把握しているのではない。

例えば、外界にあるものは光の波動であるが、我々はそれを“色”として知覚している。

また外界にあるものは空気の波動であるが我々はそれを音として知覚する。

色や音は心理的なものである。

外界に光の波動があっても、眼(視力)がなければ、色や形は顕現しない。

すなわち色が顕現するのは、眼が因であって、外界の光の波動は助縁にすぎないとみるのである。

赤色の色盲の人には、赤色の世界が顕現しないことによっても、眼が色の因であることがあきらかである。

すなわち眼(主観・見分)に具わる力だけの要素が色「いろ}(客観・相分)として顕現するのである。

それゆえ、眼は色の主観的あり方、色は眼の客観的あり方にすぎず、「両者は同一存在が主客に分裂した姿である。」

このような立場で眼耳鼻舌身意の六識と色声香味触法の六境(対象領域)とを説明するのが仏教の唯識なのです。
平川彰「仏教通史」

ino********さん

2014/3/310:58:24

科学は物事を客観することです。一方、宗教は主観の話であって、つまり人の思いの中の話。整合するところはありません。

chi********さん

2014/3/303:52:25

精神世界のものまで理解されるなんて、もはや不可能ですよ。

kom********さん

2014/3/223:18:31

科学で解明なんて不可能でしょう。
でも宿縁と信心が在れば、理解可能なんです。

suk********さん

2014/3/222:02:50

大衆が納得できるように解明することならできるかもしれませんが、
本質的には我々には永遠に理解できない事象なのだと思います。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる