アンケート一覧ページでアンケートを探す

私はロシア混血だと親に聞きました。どこで混ざったのか知りたいです。

日本史36,162閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

10人が共感しています

新機能 AI回答テストを実施中! テスト対象カテゴリ:歴史・悩み相談 ※回答がつかない場合は、画面のリロードをお試しください

ベストアンサー

このベストアンサーは投票で選ばれました

NEW! この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう

その他の回答(5件)

ざっと一世代30年として200年前後むかしですか。江戸後期から幕末あたり、あるいは維新以降になるかもしれません。 開国以後なら外国人も日本の土地を踏むことができましたから、符合します。北海道なら箱館(函館)が1854年(安政元年)に開かれましたので、あるいはここから道内に流入したロシア人(漁業関係者か宣教師か、はたまた軍人か商人か)とXXXXXXな関係になったひとがご先祖様のなかにいたのかもしれませんね。 むろん、北海道にかぎりません。本土の国際港(横浜、神戸、長崎など)に所用で出かけたご先祖様が当地でロシア人といい仲になった可能性もあるかもしれません。 他人様のルーツをあれこれ詮索しては無粋の極みですが、ある種ロマンを感じたので寄せていただきました。先祖代々、純日本人の胴長短足の私にはうらやましいおはなしです。

ID非公開

2014/3/16 12:18

日本にはロシア革命の際に亡命してきたロシア人も多く、彼らの子孫は日本に同化していきましたし、江戸時代から現代まで北海道や東北では交易がありましたので、ロシア人の血を持った日本人は思いのほか多いかと思います。 俗説で秋田美人はロシア人の血が混じっているからだ、などと言いますがもちろんウソです。 秋田美人として有名な写真の女性が鼻筋が通っており、写真では白人っぽく見えたことがこの俗説のルーツではないかと思います 同様に、先祖の代まで遡っても日本人だという人でも白人とみまちがうような肌色、顔立ちの人が時折おりまして、単に白人っぽい顔立ちを継承した家系というだけだったりします。 女性に多い気がします。母とその娘二人が白人風の純日本人家族に出会ったことがありますよ。 こういう家庭ではそのうちロシア人との混血ではないかという戯れ話が、本気にされたという可能性があるかと思います。 小笠原などには数代前に入植した欧米系植民者の子孫がいますが、比較的、欧米系の血筋同士で結婚できる環境であるわりに、すでに日本人の顔立ちになった人が多いように、4〜5世代くらいで日本人の顔立ちになるはずですから。 ただ、1/8や1/16程度の血でも、同様に1/8や1/16程度の白人の血が入っているけど、自分を白人の血筋とは思っていない人とときおり結婚していると、白人の形質が現れる可能性はあります。 第一次大戦で捕虜になったドイツ人がそのまま日本に住み続けた例もありますし、敗戦後には多くのハーフが生まれましたから、ロシア系に限らず、知らずに白人の血を引いている日本人は多いはずです。

広大なシベリアを含むユーラシア大陸を通って、ヨーロッパから、ロシア人(白人)が、千島列島南端の、国後島に入ったのは、1750年代(江戸時代中期)のこと、日本人との接触はそれ以降です。 あなたを除いて、6代とし、「1代の寿命を50年、と仮定する」と、6代前は300年前、やはり江戸時代の中盤あたりに起点を求められますし、上述のロシア帝国の発展膨張と符節が合います。 つまり、ロシア帝国の大膨張による入植・進攻の果てである、日本列島・蝦夷地(北海道)への到達時期と、ご先祖の発祥時期が、だいたい合うようですね。 やはり、北海道または千島列島南端の島での接触・交流、というのが、最も可能性が高い、と言えるでしょう。

北海道や東北地方には、稀にどう見ても西洋人のような顔立ちの方に出会うことがあります。 で、お話をうかがってみるとご両親ともにまったくの日本人で、兄弟や親戚にも似た人がいないので突然変異かな、とおっしゃってました。 東北出身の父に聞いてみると、昔からよくあることのようです。 理由としては、 ①日本は島国といっても太古の昔は陸続きで、大陸からはるばるやってきた人たちが混血を繰り返して今の日本人ができているから、隔世遺伝でそういう人が生まれても不思議はない。 「碧眼の東北人」で検索すれば、いろいろとでてきます。 ただし、この説は学術的には認められていませんので、大声で言うと批判されます。(笑) ②江戸時代、鎖国以降も東北や北海道の沿岸にはロシアの船が来ていて交流があった。(松前藩が密貿易をしていたという話もあります)なかには難破等の理由でそのまま居ついて日本人と家族をもうけた人たちもいたそうです。 あなたの場合は7代前と時期が特定されていますので、こちらの可能性が高いと思います。 ただし、この説も「江戸時代は鎖国だったから漂流民を匿ったら重罪。ありえない」と激しく批判される方々がいますのでご注意。 個人的には、鎖国といったって海岸線を始終監視してるわけではないので、大掛かりな密貿易以外にも民間レベルでの交流があったと考えるほうが自然だと思いますがね。

遡った先祖に北海道在住であった人物がいるのであれば、ロシア方面の人々との交流はありましたので、特に変わったことではないです。 また、異なる人種との混血が無かったとしても、多少の色素や顔立ちの違いが発現することはあります。特に、東北系には(近い先祖にコーカソイドなどが居ない場合でも)、緑の目を持つ人々などが、他の地域の日本人よりは極端に多く、北海道は、東北からの移民が多かった土地ですから、どこかの段階での先祖が東北出身であった可能性もあります。