歴代の武将は、なぜ天皇を殺して天皇制を廃止し、自ら国王になろうとしなかったのでしょう?

歴代の武将は、なぜ天皇を殺して天皇制を廃止し、自ら国王になろうとしなかったのでしょう?

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天皇が執政していた時期の方が短いですよね? 天皇を利用し、権力を手に入れた方が早くて良いでしょう。 また、朝敵という設定により、理不尽な進行であっても 大義名分を得るわけです。 こんな便利なものを廃するわけがありませんね。

その他の回答(10件)

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天皇がいれば、天皇の権力を利用して、自分の天下をほしいままにできるからです。

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実利があるならその挙に出た人間もいたと思います。 しかしその利が限定的あるいはリスクに対しとても釣り合わないほど少なければそんなバカなことはしないでしょう。 歴史的に見れば、蘇我氏、藤原氏、平家、鎌倉幕府、足利氏、織田信長、豊臣秀吉、徳川氏の8回、天皇家は危機に瀕したと思います。 そのなかで、現実的に相当やばかったのは足利義満と織田信長と言われています。 彼らが不審死したのはこのためとも。

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明治までは、天皇は祟るもの、というのが常識でした。 この天皇の祟りをどうにか出来るだけの力を持つもの以外は表立って天皇を害する、という行為を行う事はまず不可能です。 つまり、天皇を越える宗教的権威をもち、かつどれだけ反落が起きてもそれを全て鎮圧出来る武力を持っていなければ、天皇に手を出すのは破滅と同意であった、というだけ。 残念ながら、天皇に手出しが出来る程に力を手にした武士というのが存在しなかっただけの話です。

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【1】古代などごく一部を除いて、天皇の権力はなく権威だけでした。 ぶっちゃけ神道組織のトップ。 権力がないのですから簒奪などしても旨味は少ないわけですし、 何より宗教家を殺すことは洋の東西を問わず嫌われる行為です。 【2】しかも世襲職。 原則天皇の子でかつ親王でなければ皇太子にはなれません。 先代の養子になるという手もありますが、皇族でないと極めて難しい。 挑戦した人はいたようですが… なお、臣籍に降りたが呼び戻されて天皇になった例は一例だけあります。 【3】権威だけとはいえ、任命権という権力はありましたが、 その他の権力は実質摂政・関白が握っていたのです。 でもこれは五摂家の有力者でなければなれないわけで、しかも持ち回り。 彼ら一門全員を抹殺するなどできないでしょう? 五摂家より遥かに官位の低い武将が彼らの枠に入ること自体、困難です。 秀吉は彼らの抗争の妥協の産物として関白に成れましたが… 【4】ですから、京都に乗り込んで天皇になっても関白が逃げ出して 他の有力な地方大名と結託したら面倒なことになる。 自分以外の全ての有力武将・公家・そして皇族が敵になる 可能性が出てくるわけですから。 こう考えると、単純な簒奪など何も意味がない。 摂政関白とつるみ大臣や将軍になって絶大な権力を掌握しつつ、 協力的な太子を立てて、天皇が邪魔になったら首を挿げ替える というのが一番合理的な政治選択だったのではないでしょうか。

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日本の全歴史を通して、天皇家を踏み潰して、自分が新しい織田王朝を開いて新国王になろうとした男がたった一人だけいました。織田信長です。だから大魔王と呼ばれました。 しかし、天皇家を形式的日本国の象徴権力者として尊ぶ明智光秀によって、織田信長は天誅されてしまいました。 天皇家は天智天皇・天武天皇・持統天皇の偉大な三代の時代に、完璧と言えるほどの国家統治システムを作り上げました。そのために、天皇家が国王としての実権を失って、源頼朝の鎌倉幕府以来のその時代の真の実力者が実際の最高権力者になる時代になっても、真の実力者達は天皇制システムの役職を借りて・使って実権したのです。武家政権なら「将軍職」を取って、鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府と実権しました。明治維新を成しとげた薩長の実力者たちは、新藤原氏の華族になって大日本帝国を運営したのです。 源頼朝の鎌倉幕府以来、天皇はすでに「象徴」様だったのです。日本国憲法の「象徴天皇」の規定は、それを明文化したにすぎません。