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自民党の高村副総裁が砂川事件の最高裁判決を持ち出して、集団的自衛権行使容認を...

och********さん

2014/4/1222:29:13

自民党の高村副総裁が砂川事件の最高裁判決を持ち出して、集団的自衛権行使容認を憲法解釈で行使できるのだと言う解釈は無理が有りませんか?

あれは個別的自衛権について述べていて、集団的自衛権についてでは無いと思いますが、しかも自民党は砂川判決が出た後も、日本国憲法では集団的自衛権を行使できないと言う解釈でずっときたはずです。
ということは当然、砂川判決で集団的自衛権を認めたのではなく、個別的自衛機についてを認めたものだと自民党も考えていたはずです。
高村副総裁の解釈は全く、今までの自民党の見解と真逆で一貫性が無いと思うのですが、そのへんの整合性についてコメントが聞こえてこないのですが。

補足砂川判決は日本の集団的自衛権に触れてはい無いと思います。
アメリカが集団的自衛権で日本を守ることに関しては肯定していますが。
砂川判決が集団的自衛権を否定しているなんて曲解は辞めていただきたい。
憲法9条が有りますが、自衛する権利はある。
そしてアメリカに頼ってこれを補完することも認めると言う判決です。
現代の問題点である日本がアメリカを援護する集団的自衛権を砂川判決は認めているわけではない。

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ter********さん

2014/4/1309:42:54

貴方やfiixxeeddさんの主張が正論です。
そもそも「砂川事件」は集団的自衛権を容認などしていないと断言します。

専門家の発言を参考に載せます。
===
最高裁「砂川判決」と集団的自衛権
浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2014年4月10日
法学館憲法研究所より引用
http://www.jicl.jp/urabe/backnumber/20140410.html
砂川事件 判決文 (1959年)
(高村副総裁が、集団的自衛権の行使容認の根拠とした箇所)
---
「そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。

(中略)

かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」
---
(専門家の当然の帰結)
要するに「日本を守ってもらうためにアメリカ軍を駐留させても憲法に違反しない」ということだけであって、「アメリカが攻撃されたときにアメリカを守るために日本が軍事行動することも憲法上許される」などということは、行間を読んでさえとうてい読み取れない。むしろ、私でさえ(?)その「卑屈さ」に腹が立つような内容である。そんなものを集団的自衛権正当化の根拠として持ちだそうとは、彼らもよほど「手」がないのだろう。
===
これが当然の結論で、砂川事件の判決後に当時の政府は集団的自衛権の行使を禁止したのに、どう読んだら集団的自衛権が認められるとなるのか?

私は厳格に集団的自衛権を行使するのに賛成の立場ですが、今の自民党の余りの出鱈目に怒り心頭です。

そもそも個別的自衛権と集団的自衛権は全く異なる権利です。
===
個別的自衛権(先制的自衛権を含む)
行使は1837年のカロライン号事件のウェブスター見解を根拠とする。
1929年に批准した戦争放棄に関する条約の論議で認められ、その明文化である憲法9条が担保する。
===
集団的自衛権
行使は1986年のニカラグア事件判決を根拠とする。
1956年に批准した国際連合憲章で認められ、憲法98条第2項『国際法の遵守』が担保する。
===
全く違う権利で、憲法9条は個別的自衛権(先制的自衛権含む)だけを保障しているのです。

質問した人からのコメント

2014/4/16 02:23:25

傍流のお一人様以外とは賛同できます。

権利と義務の根本を理解しないと。
国際法で固有の権利だからと言って、行使しなくてはいけないわけではない。
なぜなら義務ではなく権利。
行使しても良い。
これが権利。
権利だから各国の判断。

集団的自衛権を保持してるが行使はできない。
これが今の日本の立場。

国際法でその権利を行使しても良いとなっていても、ウチは国内法の縛りでできません。
で、どこもオカシクない。

ずっと主流の見解。

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編集あり2014/4/1509:56:24

集団的自衛権という概念が出てきたのは1945年の国連憲章からです。そこで集団的自衛権は個別的自衛権と並んで「固有の権利」とされました。その後、マッカーサーらによって日本国憲法を押し付けられました。

1959年の砂川事件判決は、自衛権は国家固有の権利であり憲法9条で否定されていない、と確認しましたが、その判決の時点ではすでに自衛権の概念に集団的自衛権も含まれています。

逆に教えて欲しいのですが、砂川事件判決が「固有の権利」集団的自衛権を否定しているという根拠はなんでしょうか?おそらく質問者さんは根拠を持ってらっしゃらないでしょう。


●小林節「白熱講義! 日本国憲法改正」 (ベスト新書)p.79より
「集団的自衛権」とは、同盟国同士の同盟関係を世界に明らかにすることによって、どちらかが侵略されたら、双方の同盟国で押し返すことである。

●浦田一郎「ハンドブック集団的自衛権」より
集団的自衛権の実際を見てみると、北大西洋条約機構(NATO)や旧ワルシャワ条約機構のような軍事同盟体制は集団的自衛権によって根拠づけられています。

●色摩力夫「国際連合という神話」より
従って、国連憲章第51条の規定は従来の「自衛権」を拡張解釈したものでもなく、それとは別に新しい権利を創設したものでもないことになる。


集団的自衛権の概念が国連憲章から、と述べましたが、この通りその概念はそれまで存在した軍事同盟とほぼ同じものです。つまり他国と共同で防衛する「固有の権利」というわけです。


最高裁「憲法は、右自衛のための措置を、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事措置等に限定していないのであつて、わが国の平和と安全を維持するためにふさわしい方式または手段である限り、国際情勢の実情に則し適当と認められる以上、他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではない。」
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/1959121...


集団的自衛権は国際法で「固有の権利」とされており、日本国憲法で否定されていない以上、集団的自衛権は憲法上も行使可能であるとするのは当然でしょう。最高裁が言うように、憲法は「他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではない」のですから。

つまり憲法は軍事同盟(集団的自衛権)を何ら禁ずるものではないのです。そのように憲法解釈を正した上で、法律などにより集団的自衛権の制限を行うべきです。



現在の憲法解釈は、内閣法制局という官僚による解釈です。本来、内閣法制局には憲法解釈権などありません。

首相発言は「立憲主義否定」か 内閣法制局に「憲法解釈権」なし
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140219/dms140219072...

これまでの憲法解釈は内閣法制局の解釈を歴代内閣が追認してきたにすぎず、内閣が専門家等の懇談会に諮問して出された報告書を元に内閣で閣議決定すれば憲法解釈を変更することは何ら問題ありません。事実これまでも憲法解釈は変更されてきました。安倍晋三は懇談会に諮問せずとも閣議決定のみで変更できるのに、実際は丁寧にやっています。
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-1397.html


そもそも憲法9条は、その成立過程からして個別的自衛権はもちろん集団的自衛権も否定していません。

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」 報告書
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzenhosyou/houkokusho.pdf
『(憲法9条は)個別的自衛権はもとより、集団的自衛権の行使や国連の集団安全保障への参加を禁ずるものではないと読むのが素直な文理解釈』p.19

第18講 憲法9条 総司令部案の真相 西修先生
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131102/edc13110208500002-n1.htm
「マッカーサー・ノートにあった『自己の安全を保持するための手段としての戦争』の文言を削除したのは、それが非現実的だと考えたからです。」(ケーディス大佐)

憲法9条が確定する前に、『自己の安全を保持するための手段としての戦争』の文言をケーディス大佐が削除して、「紛争解決の手段としての戦争」を放棄したにとどまったのです。その「紛争解決の手段としての戦争」とは、1928年の不戦条約に由来しており、それは自衛権を容認するものでした。

東京裁判で高柳賢三弁護人は、不戦条約の締結国の意思を次のように簡潔にまとめている。
(1)本条約は、自衛行為を排除しないこと。
(2)自衛は、領土防衛に限られないこと。
(3)自衛は、各国が自国の国防または国家に危険を及ぼす可能性ある如き事態を防止するため、その必要と信ずる処置をとる権利を包含すること。
(4)自衛措置をとる国が、それが自衛なりや否やの問題の唯一の判定権者であること。
(5)自衛の問題の決定は、いかなる裁判所にも委ねられ得ないこと。
(6)いかなる国家も、他国の行為が自国に対する攻撃とならざる限り、該行為に関する自衛問題の決定には関与すべからざること。
(『太平洋戦争原因論』p.492)
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-1127.html

第19講 憲法9条 芦田修正が行われた理由 西修先生
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131109/edc13110907420000-n1.htm
「私は一つの含蓄をもってこの修正を提案したのであります。『前項の目的を達するため』を挿入することによって原案では無条件に戦力を保持しないとあったものが一定の条件の下に武力を持たないということになります。」(芦田均)

そして、芦田均によって『前項の目的を達するため』が加えられ、「紛争解決の手段としての戦争」のための戦力保持だけが禁じられることになったのです。

つまり憲法9条は、その成立過程からして個別的自衛権はもちろん集団的自衛権も否定していません。

1959年12月の砂川事件の最高裁判決も自衛権を広く認めています。
「憲法9条により自衛権は何ら否定されたものではない」
「我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執りうることは当然のことと言わなければならない」
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/1959121...


9条の成立過程、とくに起源となった不戦条約の解釈などを総合すれば、憲法9条は自衛権を否定していませんし、ましてや集団的自衛権だけは行使できないという根拠も存在しません。最高裁も同様です。そのような「ヘンテコ解釈」が歴代内閣で踏襲されてきたことが問題であり、似たような状況が河野談話に関してもあらわれています。

孫子九変篇第八の六「其の来たらざるを恃(たの)むこと無く、吾れの以て待つ有ることを恃むなり」
(敵が来襲しないことを期待するのではなく、敵がいつ来ても良いような備えを固めることが大切である)

参考)
憲法9条の成立経緯 西修
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17315/jfku062-02.p...

milky_way0088の独善的回答拒否と”なぜ今ここで?的”逆質問
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412255586...

日本国憲法第9条は自衛権を否定しているのか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012681928...

fii********さん

2014/4/1305:04:28

あなたのおっしゃることに全面的に賛成します。まさしくその通りだと思います。


安倍政権になってから『遡って過去の政治的見解を根源から否定する』ことが急増しているように感じます。

「そもそもが間違っていた。今の我々の見解こそ正しいのだ!!」←こういう台詞はもうウンザリです。(--;) もっと知性的であってほしい。謙虚であってほしい。

mil********さん

編集あり2014/4/1400:14:19

砂川事件の最高裁判決は旧安保条約の違憲審査権を争う裁判であり、自衛権についての違憲審査権の裁判ではないから、質問にある個別的自衛権のみでは旧安保条約の違憲審査権の理由にまで結びつける流れとして難がある。また自衛権についての判決理由の結論として「憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。」と記されており、集団的自衛権も含めた自衛権について判じていると捉えるべきである。一方、自民党の高村副総裁が砂川事件の最高裁判決を援用することについては、当時と現在における集団的自衛権のありかたの考えに変化があるにもかかわらず判決内容の理論的再検討を行わずに援用することが問題であり、判決文すべてを読めば今論議されている集団的自衛権に、この判決内容の一部のみをそのまま援用することの問題点を考えるべきである。また、今論議されている集団的自衛権は、集団的自衛権については保持するが、行使はできないとしている点に注視することが、安倍政権の集団的自衛権論議の問題点を考える場合に必要と考えるが、十分とは言い難いものがあるが、これは最後で述べる。

まず、砂川事件の最高裁判決で自衛権に関する部分は理由一の箇所になる。この中の前段の多くを自衛権の保持を国家の権能であり憲法は自衛権の保持を否定していないとする解釈に費やし、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」としている。ただし、最後に「憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。」としており、これから日本が他国から支援を求めることは憲法は禁じていないと判じているが、日本が他国に行くことについては判決文には何ら述べられていない。つまり、日本が武力攻撃を受けた場合の集団的自衛権についてのみ判じられていると考えられる。この内容から今論じられている日本が他国を援助する集団的自衛権の論議に、この判決文をそのまま援用して良いかについては問題があると考える。

そして理由一の後半は憲法9条2項の「戦力」について論じているが、「同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」として日本自体の自衛のための戦力の判断を避ける内容で、「外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」として日本に駐留する外国の軍隊についての解釈を判じている。つまり、裁判所は自衛隊の自衛権行使と憲法9条2項の「戦力」については解釈を示しておらず、自衛隊と「戦力」に関して裁判所は何ら判断を示していないことになる。
ここで憲法9条2項の「戦力」は、自衛隊の存在が憲法に反するかの論議がある部分である。そして現在行われている集団的自衛権についての論議でも、集団的自衛権の行使はどの国家機関が行なうかについての議論はされていない(政権は具体的な日本の安全保障政策を示しておらず、ただ集団的自衛権の行使の有無のみ提示しており、具体的にどのような内容の集団的自衛権を日本は取るのか示されていないことは、自衛隊を使うことの有無も判断することもできず問題があると考える)。

そして最初に述べた集団的自衛権については保持するが、行使はできないというものがなぜ作られたのかが問題となる。政府は憲法の「戦力」とは、自衛のために必要な最小限度の実力を超えるものとしており、自衛隊は「戦力」に該当しないことで憲法に反しないとする政府解釈が行なわれてきた。これは日本が集団的自衛権を認めることになり自衛隊を海外に派遣することは、自衛隊が海外で集団的自衛権を行使することによって憲法9条の「戦力」の解釈と自衛隊の行動が矛盾する事態の発生が危惧され、そのことは国家の権能として日本も保持しているとする自衛権と、自衛権の行使を行う自衛隊が他国での行動により憲法違反とされ自衛隊の存在理由を危うくする事態というジレンマを解決するものとして考えられたものであるとされている。つまり、集団的自衛権を認めることは、自衛隊と憲法9条問題をクローズアップさせる要素を持ち得ていると考える。そして砂川事件最高裁判決は、「自衛のための戦力の保持」については何ら判断を示していない。

これまでの集団的自衛権については憲法9条1項に関するものは大いに論議されているが、2項に関することはほとんど論議されていないように感じる。日米安全保障条約の共同防衛を昭和35年の国会で個別的自衛権であるとし、日本の領域についての日米の共同防衛の問題となりそうな憲法解釈について政府は対応してきた。しかし、安倍政権が表明する集団的自衛権の解釈を論議することは、最終的には集団的自衛権の措置を実施する自衛隊そのものの憲法論議や、その他の憲法解釈論議が発生しかねない可能性を秘めていると考える。現行の憲法において集団的自衛権をどのような形で、どの国家機関が行なうかの議論抜きで、集団的自衛権の行使のみ認める有無を判断することは問題が大きいと考える。
本来、集団的自衛権についての憲法問題を解決するには「集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり、それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を当然とらざるを得ないと思う(角田内閣法制局長官 第98回国会 衆議院 予算委員会議録第12号 昭和58年2月22日)」が正論であり、憲法改正という方法で日本の自衛権や安全保障政策の方向について国会で十分な論議を行い、憲法改正の承認という形で国民の判断を仰ぐべきと考える。

-----------

「憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、九条一項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」
(最高裁判所 昭和34(あ)710 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反 昭和34年12月16日)

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