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宇垣纏の「戦藻録」を読もうかと思っています。聞くところによると、一期間途切れ...

mom********さん

2007/9/1619:04:42

宇垣纏の「戦藻録」を読もうかと思っています。聞くところによると、一期間途切れているそうで、その原因は、戦後、福留繁中将が宇垣宅を訪れ借用の後、紛失したとの書き物の記憶があります。

その真意と欠落期間をご教示ください。

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lip********さん

編集あり2007/9/1702:57:29

遺族から日記を拝借したのは福留繁ではなく黒島亀人で、宇垣の私物を整理するとも、東京裁判に出廷するときに参考資料として持参する等の名目で持ち出しました。
この内、日記の欠落期間は第6巻の43年1月1日から4月2日までの間で、欠落した第6巻について黒島本人によれば”電車に置き忘れてきた”との事ですが、黒島は裁判には出廷しておらず、また軍令部の重要書類や、連合艦隊の電報の作戦命令綴りを借り出しては共に”紛失(証拠隠滅)”させている事から、現在では、何かしら自分に都合の悪い事が書かれていた部分を意図的に紛失させた疑いが強いと見られています(なお、宇垣は黒島の事をかなり嫌っていた節があり、「戦藻録」の中でも黒島を批判する描写があるそうで…)。

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ang********さん

2007/9/1708:03:20

戦藻録とは、黒島が連合艦隊先任参謀時代に対立していた宇垣纏が昭和7年から昭和20年まで、ほぼ毎日書いていた一種の陣中日記であるが、これは太平洋戦争当時の連合艦隊の当事者の心の推察や作戦の内幕を知る上で貴重な資料である。
しかし、昭和17年11月から昭和18年2月頃までの日記は欠落している。
これは宇垣自身が書かなかったのではなく、黒島自身が勝手に処分した可能性が高い。この時期は連合艦隊長官の山本五十六が黒島の作戦能力に疑問を抱き始め、密かに代わりの先任参謀の人選を行っていた時期である。
宇垣の遺族によれば、ある日黒島が宇垣の戦藻録を全冊借りに来て、しばらく後返却にきた。しかし、後に判明した事だが、ちょうどその時期の部分だけ欠落しており、宇垣の性格からして日記を止めていた可能性は低い事から、一種の保身の為に自分にとって都合の悪い部分が書いていた箇所を処分したのではないのかと疑いが持たれている。

kem********さん

2007/9/1623:20:19

↑なかなか興味深いご回答ですね。他の人の質問の場を借り申し訳ないですが
このような汚点を、海軍エリートはエリート故、気にするのでしょうか?
それは、後世を意識ですか・・・それとも後の昇格に対してでしょうか・
先人への批判はあまり好きではありませんが、当時の海軍の構造的な事と
現代にもつながるようで興味深いです。
お邪魔しました。

biy********さん

編集あり2007/9/1622:37:15

「戦藻録」は全15巻であり、欠落しているのは昭和18年1月1日~4月2日までが書かれている1巻です。

この真意は何かと云われても確たるものはありませんが、福留中将は開戦時は永野修身軍令部総長の下で軍令部第一部長として対米作戦{米豪遮断作戦}の推進者でしたが、山本連合艦隊司令長官の推す「ハワイ空襲作戦」を永野軍令総長が最終的に許可し、米豪遮断作戦は後手の作戦として、ラバウルを落し次いでガタルカナル島に飛行場建設に着手します。しかし米軍の強襲で「ガ島」からは撤退せざるを得ない状態となりますが、この「ガ島撤退」の期間が戦藻録の欠落した期間です。

福留中将は自らが立案した進攻作戦が頓挫した場面を、宇垣纏中将が事細かく所見を述べていたので、この1巻を返還しなかったのでは。
特に陸軍の辻参謀に作戦を撹乱させられた場面を宇垣長官は批判していたか?

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