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魏延の長安奇襲は無謀すぎる下策だと言われることが多いですが、本当にそうなんで...

pet********さん

2014/4/2919:35:18

魏延の長安奇襲は無謀すぎる下策だと言われることが多いですが、本当にそうなんでしょうか?
漢中という対魏の最前線で任務に当たっていた魏延が、彼なりに情報収集や分析をして、考えに考えた

作戦だったはずです
実際に魏延は羌中まで遠征し、陽谿で名将郭淮を撃破してるんですから、長安奇襲も成功した可能性だってあるんでは?

そもそも博打の要素を含む作戦だったとしても、孔明は出師の表で目的を表明した以上は、そっちを採用するべきだったと思います
「出師の表とか書いてみたけど、実は本気じゃなかったんだ。魏延クンってば、何を真に受けちゃってんの?」って思ってたなら、酷すぎる・・・

補足そういえば、蜀から羌中〜陽谿までと、蜀から長安までって、どっちが遠いんでしょうか? やっぱり長安ですか?

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sho********さん

編集あり2014/5/105:27:34

魏確かに魏延は魏延なりに情報収集等してたのでしょうけどねぇ・・・・。

諸葛亮は227年春に北伐の為、漢中に遷ってますが、その段階で魏の明帝は蜀漢が侵攻して来ると予想し、侵攻されるくらいなら、と魏側からの攻勢(予防戦争)を検討してます。結局、側近の劉放・孫資の進言で守勢方針に決定しましたが。
恐らくその段階で、夏侯楙から宗室の名将・曹真へ司令官の変更を行なっています。
だから、魏側は諸葛亮が軍を発する以前に長安周辺の関中盆地の警備はさらに厳重になっていた物と思われます。魏側も戦史的に韓信の故事は充分すぎるくらいに要警戒でしょうから。

また夏侯楙のままでも、彼が逃亡せず交戦したり、夏侯楙は逃亡しても彼の属将が長安を守ったりしたら、それだけで魏延の計画は頓挫します。
まぁ、魏延の計画は「俺が行けば夏侯楙は逃げるんで楽勝でしょ」的な感じですね。
魏延はその後の北伐でも諸葛亮と別道を進みたいと望んだ、ってあるんで毎回、この計画を押してたとするのなら、状況の変化を考慮出来ない勇猛一辺倒な将領、って感じですね。(まぁ、短に諸葛亮の計画内で別働隊を率いたい、って意味かもしれませんが)

諸葛亮の第一次北伐の戦略は、その裏をかくものですね。魏側が警戒しまくっている瑯東・長安方面に侵攻するぞ、と趙雲らを派遣し、さらに魏側の警戒を煽った上、逆方向の瑯西に侵攻するものです。瑯西は魏の掌握が緩く、あっさり三郡が降ったり、逆に魏側は援軍を送るにしても地形的に魏の人的優位さを生かせず、大軍を投入出来ないなど相対的に蜀漢が有利に地域に侵攻するものでした。
恐らく、瑯西~涼州方面を押さえるのが第一次北伐の当面の目標でしょう。当面の目標が達成されれば、占領地の領土化を進めた後、状況が許せば、いよいよ関中盆地・長安への侵攻、と言う考えだったと思います。

出師の表は最終目的を述べたのもであり、その最終目標を達成する途上には幾つもの戦略がある訳です。軍事上、地形的に最短距離のルートが最も正しい戦略的ルートだと言う訳ではありません。

諸葛亮の北伐の中で、最も諸葛亮が本気で考えたのが第一次だと思いますよ。

補足について
漢中~羌中・陽谿の方が漢中~長安より遥かに遠いです。倍以上あるかも。でも、長安周辺と違い辺境の地ですので、侵攻するだけなら逆に障害は、ほとんど無いに等しい様な場所かもしれません。
この遠征、第三次北伐の地ならし的な遠征で、遠征ルートの羌族等の異民族を慰撫し見方にしたい、と言うもので、この時に郭淮らを破ったんですが、結果的には異民族は魏側に兵糧等を提供してしまいました。局地的に郭淮は敗れたものの、対極的には優位に立った、と言う感じでしょうか。
まぁ、その後の諸葛亮の侵攻の際、岐山まで、なんら抵抗なく進軍してるので、蜀漢の勢力も異民族にある程度浸透はしていた様ですが。
あと、陽谿は遭遇戦、野戦であり、長安は攻城戦です。陽谿で名将を破ったから攻城戦も、って単純にはいかんでしょうね。
書き忘れたんですけど、長安周辺は平時でも魏側は蜀漢を警戒している訳で、諸葛亮が漢中に遷ってさらに警戒。この状況で長安方面に奇襲をかけようとしても、警戒している方面への奇襲では奇襲効果は薄く、あまり意味の無い奇襲となってしまいます。奇襲ってのは心理的な部分が大きいので。

質問した人からのコメント

2014/5/1 10:15:39

降参 m(_ _)m

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斎藤豊さん

2014/4/3008:47:04

孔明が軍略の才能が無い事は本人も自覚している事実です。天下を取る積りなら、どこかで冒険をしなければ不可能です。孔明の信用した人材は悉くへっぽこで、逆に彼が退けた人材の方が有能で遭ったようです。魏延は人事の天才劉備の見込んだ武将です。孔明は最後まで自分の人を見る目の無さを自覚せず、部下の所為で自滅しています。演義では、魏延を悪者にしなければ孔明の無能が際立ってしまうので、彼は犠牲になったのです。演義を良く読むと、魏延に対する根拠のない悪口の伏線が随所に見られます。孔明は初対面から、魏延は叛骨があるから用いない様に進言しています。全く根拠がありません。

2014/4/3002:06:31

個人的な意見ですが、長安奇襲で長安を陥落させることは可能というか成功率の高い作戦だったと思います。
特に第一次北伐時…つまり魏が蜀からの侵攻を予想していない状態では魏側が長安を防衛することは不可能に近いですね。
当時の長安の指揮官は、あの夏侯楙…血縁だけがとりえの無能ですから蜀の襲来をしったら長安をほったらかして逃げる可能性が大ですね。

但し、長安を攻略したとしても維持できるかは別の話です。
魏と蜀の国力の差は10倍近く…もし長安を落としたとしても、長安の民衆のゲリラ活動や、反撃してくる涼州と中央の兵たちに囲まれ孤立し、補給路を断たれた蜀軍は全滅する公算が高いですね。
それがわかっていたから孔明は魏延の策を採用しなかったのだと思います。

個人的に長安急襲策にひねりを加えるとするなら、まず少数を以て長安を急襲⇒長安を落とすと同時に史実と同じルートで魏へ侵攻。長安救援に向かう涼州の魏軍を長安急襲軍と本体で挟撃し、空になった涼州を平定…これくらいが現実的な路線じゃないでしょうかね。

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