源頼朝は焼鮭を初めて食べて「世の中にこの様な美味い食べ物があったのか」と感動したそうですが事実ですか? 焼鮭はそんなに貴重だったのですか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございます。 他のみなさんもありがとうございます。 参考になりました。

お礼日時:2014/6/19 1:45

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源頼朝が鎌倉幕府を関東に、たてたのは、 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて 日本は、農林水産物が、関東は豊作豊漁で、 関西は凶作不漁が続いて関東は豊か、に、 なって、関西は不景気に、なっていったので 頼朝は、じゃー関西から関東へ日本の中枢を 移そう、という心算だったそうです。 不景気な関西から関東に移ったばかりの 頼朝は関東で、うまい食物を食って、 それを実感したのでしょう。

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江戸時代初期頃でも、焼鮭は大変なごちそうだったそうです。江戸時代初期、寛永・慶安頃の大名の食事などと言うのは、飽食の時代と言われている現代などからは想像もつかないくらい質素なもので、伊勢国桑名藩の家老で、一万石取りの吉村又右衛門が来客をもてなした食膳は、玄米のごはんに赤イワシと糠味噌汁だったそうです。また、江戸城に出仕する大名たちは各自持参したお弁当を食べる事になっていましたが、長門国長府藩主・毛利秀元のお弁当のおかずに焼鮭の切身が入っているのを見て、これはめずらしいと老中の阿部対馬守や儒学者の林羅山などが「わしにもくれい」 「わしにもくれよ」と少しづつ分けてもらって食べたので、毛利秀元のお弁当のおかずが無くなってしまったと言うエピソードがあります。

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『吾妻鏡』によると建久5年(1194)二月、佐々木盛綱が源頼朝に生鮭を献上しているそうです。 他にも建久1(1190)10月13日、 越後国守護佐々木盛綱、上洛途上の源頼朝に越後の楚割鮭(塩引き鮭)を献上する、など諸説あるそうです。 一般にサケの遡上の南限は利根川までといわれます。 冷凍技術や流通が発達していない時代です。 都生まれで伊豆に流された頼朝はサケを食べたことがなくても不思議はないでしょうし、西日本でサケが貴重品だったことは間違いないでしょう。