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チェコとスロバキアの歴史

cze********さん

2007/10/1721:39:36

チェコとスロバキアの歴史

チェコとスロバキアが一緒になったり分かれたりした原因をわかりやすく教えてください。また両国の関係は良好なのでしょうか?
お互いに仲が悪いとか。

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nek********さん

編集あり2007/10/1723:22:04

別れた理由

ハイフン戦争

ハイフン戦争(チェコ語 Pomlčková válka, スロヴァキア語 Pomlčková vojna ― 直訳すると「ダッシュ戦争」)は、共産主義政権崩壊(ビロード革命)後のチェコスロヴァキアにおいて、その国名を巡って発生した争いを揶揄した名称。これは結果的に、チェコとスロバキアの分離(ビロード離婚)につながった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%B3%E...


一緒になった理由

チェコ人とスロバキア人はどちらもスラブ系で、言語もほとんど同じ。「一卵性双生児の兄弟民族」とまで言われる由縁だが、歴史的に見れば大モラビア王国(833~906)の滅亡以来、約1000年にわたって両者は別々の歴史を歩んできた。

19世紀にフランス革命が起きると、チェコやスロバキアでも民族意識が高まり、チェコではチェコ語とドイツ語の地位平等や、オーストリア=ハンガリー=ボヘミア三重帝国の実現によるチェコの地位向上を要求、一方でスロバキアではハンガリー内部での自治権獲得の動きが高まった。

第一次世界大戦ではチェコ人やスロバキア人はオーストリア=ハンガリー帝国軍の一員として参加したが、プラハ大学教授のマサリクはチェコとスロバキアの共同国家による独立を唱えてパリに亡命政権を樹立した。この「チェコスロバキア構想」は大きな反響を呼び、前線にいたチェコ兵たちは同じスラブ系のロシア軍に続々と投降。5万人のチェコ軍団となって東部戦線でドイツ軍やオーストリア軍と戦った(※)。マサリクは米英仏にチェコ軍団を同盟軍と認めさせて、戦勝後のチェコスロバキア独立を約束させた。マサリクはチェコとスロバキアの中間地点に位置するモラビア生まれで、スロバキア人の父とドイツ語を話すチェコ人の母を持つ人物。「スラブ系民族の団結によるチェコスロバキアの実現」は自然な発想だった。


仲が良いかどうか

チェコがスロバキアの独立を容認したのは、「どうせ別れたがっている相手なら、すんなり別れて流血の惨事を避けたほうが賢明」という判断から。また市場経済への移行で経済不安が増大する中で、後進地域のスロバキアはお荷物視されていたから、「これから大変だという時期に、スロバキアの面倒を見なくて済むのはありがたい」と思われたため。一方、スロバキアはメチアル首相が失脚するなど政治的には混乱が続いたが、経済的には「チェコ依存が崩れて急激に悪化する」という予想に反してプラス成長が続いた。そういうわけで、分離後もチェコとスロバキアは仲の良い関係が続いています。東京にあるスロバキア大使館も、2004年まではチェコ大使館と同居していました。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/czech.html


フィツォ現政権は前政権の方針を引き継ぎ、EU・NATO協調を基本政策としている。更にヴィシェグラード・グループ(チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキア)の協力推進するとともに、ロシア、ウクライナ、ベラルーシといった旧ソ連邦諸国との関係も重視している。対米関係も重視し、イラクにも約100名を派兵していたが、フィツォ首相の公約に従い、2007年1月に撤退。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/slovak/kankei.html


ヴィシェグラード・グループの概要

(1)1991年2月、チェコスロバキア(当時)、ポーランド、ハンガリーの大統領がハンガリー北部のヴィシェグラード(Visegrád)において、3カ国の友好と協力を進めることを目的とした協力の枠組みとして「ヴィシェグラード・グループ」を形成することで合意。1993年1月のチェコスロバキア分離に伴い、ヴィシェグラード・グループはチェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキアの4カ国で構成されることとなった。この4カ国を総称して「ヴィシェグラード4カ国(V4)」と呼ぶこともある。

(2)年1回の公式首脳会合の他、議長国(任期1年で各国持ち回り:2008年6月末までチェコが議長国)が策定する行動計画の下、大統領、首相、外相、専門家レベルで各種会合が開催されている。ヴィシェグラード・グループが発足した当初は、EU加盟に向けた協力が中心であったが、現在は文化、環境、防衛、教育、観光、エネルギー、IT等、多岐に亘る分野で協力が行われている。またEU内での協議に際し、利害の一致する部分では、ヴィシェグラード・グループとして共通の立場を形成することもある。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/europe/v4+1/index.html

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2007/10/1801:38:16

スロヴァキアはチェコに対して日陰者のような意識があったようです。
ユーゴスラヴィア時代のセルビアとクロアチアの関係に似てますね。

そしてクロアチア同様スロヴァキアも枢軸国の一員になっています。
ソ連軍の侵攻と共に独立スロヴァキアも消滅したので敗戦国扱いすらされませんでした。

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ste********さん

2007/10/1723:17:35

チェコとスロバキアは通称ビロード離婚とも言われるように、
血を流すことなく分離しました。
チェコ語とスロバキア語は近縁関係にある言語(同じ西スラヴ語)で、両者で会話できるそうです。
方言程度の差ということらしいです。
チェコとスロバキアが分離したのは両民族のナショナリズムの高まりのためで、
歴史的な対立や憎悪というものもあまりないようです。
ただ、チェコは歴史的に見て工業化の進んでいる地域で、
スロバキアは経済後進地域という、地域格差が分離の原因ともいえます。
とりあえずは、良好な関係を維持しているといってよいでしょう。
↓入門書としておすすめです。
『物語チェコの歴史』http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/0239ed10.38c09059.039d63b7.85d1d5ea...

rit********さん

2007/10/1723:15:12

チェコはボヘミアン・グラスやドイツの軍事を支えてきたシュコダ財閥など、鉱工業が盛んな地域で、スロヴァキアは農業主体の地域でした。また民族もチェコは西スラブ系でポ-ランド人に近く、スロヴァキアはドナウ川を隔てて隣接するハンガリ-のマジャール人に近い東スラブ系です。
しかし、両国は今も互いに交流はありますし、プラハ~ブラティスラヴァ間には直通列車が走っています、確か通貨も両方ユーロです。

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