ここから本文です

豊臣家と外様大名疑問 昔のNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の1場面です 大坂冬の...

but********さん

2014/7/608:40:51

豊臣家と外様大名疑問

昔のNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の1場面です
大坂冬の陣の前段階の頃
大坂城では徳川との合戦の準備をしようとしています

その時に真田幸村が豊臣家ゆかりの大名に味方に付くように促す事を主張します
その対象が幸村のセリフによると
「島津殿、加藤殿、福島殿、黒田殿、蜂須賀殿、浅野殿
なかんずく伊達政宗殿」
(実際のセリフと順番違うかも知れません)
例に挙げた諸大名はこの7人でしたが
フルネームを挙げたのは
伊達政宗のみでした

この時期は
豊臣秀吉の時代や関ヶ原の合戦の頃から見ると
世代交代も進んでいるようですが

伊達政宗以外
このセリフにある
●島津
●加藤
●福島
●黒田
●蜂須賀
●浅野

とはそれぞれ
誰の事でしょうか?
当時の各家の当主は誰なのでしょうか?

閲覧数:
199
回答数:
2
お礼:
25枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

タコタコさん

2014/7/610:02:52

既出の回答が出ていますが、

島津家…島津家久(忠恒)。島津義弘長男。因みに当時義弘はまだ生存。大坂陣は在国して出陣せず(当然幕府に味方する意向は伝えていたが、国許の事情で出陣に手間止まり結局参戦出来ず、島津謀反の噂が出た)

加藤家…加藤忠広。加藤清正三男。清正死後に家督相続。大坂陣当時まだ13歳で参戦せず。

福島家…福島正則。冬・夏共に江戸城留守居を命じられて参戦せず。嫡男忠勝が冬の陣に参戦したが、夏の陣には遅参して参戦出来ず道や橋の補修を命じられる。

黒田家…黒田長政。冬の陣は江戸留守居。嫡男忠之が参戦。夏の陣には徳川秀忠付きとして秀忠本陣に詰めた。

蜂須賀家…蜂須賀至鎮。冬の陣に参戦。夏の陣には参戦出来ず。父家政は冬の陣で江戸留守居。

浅野家…浅野長晟。浅野長政次男。当主であった兄幸長の急死により家督相続。冬・夏共に参戦。特に夏の陣では樫井の戦いで、塙団右衛門直之を討ち取った武功を家康から高く評価され、後に紀州和歌山37万6000石から、福島正則改易後の安芸広島42万石に加増移封。

伊達政宗だけフルネームだったのは主人公が政宗である事の他に時間的な問題や、世代交代した事に触れていない大名家の当主の名前を出せば視聴者を悪戯に混乱させるからだと思われます。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

kit********さん

2014/7/609:21:44

島津は島津家久(忠垣)義弘の実子で義久の養子となり家督を継いだ身

義弘は関ヶ原で1000ほどの兵で参戦した将 島津の退口などが有名ですね

加藤は加藤忠弘 清正の3男 清正の死により11歳で家督を継ぐが家臣団が付いて来ず後に改易になっています 大阪の陣のその奇行から要注意人物でしたが不参加

福島はそのまんま福島正則だと思われます
ただ豊臣家を敵とするのを良しとしない方向で家康より警戒されていました
よって江戸城の留め置き
子の忠勝が参戦しています

黒田は長政 関ヶ原でも東軍の中心の将でしたので秀吉恩顧ではありますが無理があったのでしょう

蜂須賀は 蜂須賀至鎮 正勝の孫 恩顧中の恩顧ともいえる蜂須賀家ですが徳川派になったのは最初の方 大阪の陣でも活躍しています

浅野氏は浅野長晟 浅野幸長は関ヶ原後も徳川家と豊臣家の橋渡しをするなど幸長が徳川家を認めながらも親豊臣の大名だった
それが災いしてか家康による毒殺と噂される懐死を遂げている
男子がいなかったため甥の長晟(ながあきら)が継いでいてこちらはばりばり大阪の陣に徳川方として参戦 活躍している

実際大阪の陣がもう少し早ければ
加藤清正 福島正則 浅野幸長あたりは豊臣方で参戦してもおかしくない状態でした

しかし清正 幸長共に急死し旧知の友を失った正則も酒に溺れていたようです

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる