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大相撲、北の富士が相撲協会を辞めた理由はなんですか。 審判部にいたときに不...

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ID非公開さん

2007/11/1316:42:58

大相撲、北の富士が相撲協会を辞めた理由はなんですか。

審判部にいたときに不祥事があったと聞きましたがそれが原因ですか? また不祥事とはどんなことをしたのでしょう。

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回答数:
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ベストアンサーに選ばれた回答

fukushachozさん

2007/11/1509:35:01

暴力団関係者との交際がありました。
現在解説でテレビに出てますが、本当のところNHKも使いたくないが他に人材が無く、仕方なくといったところですか。

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質問した人からのコメント

2007/11/15 10:53:15

成功 なるほど。ありがとうございます。

ベストアンサー以外の回答

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2007/11/1319:20:55

相撲協会の理事になれなかったからキレたんだろ。

bear20070802さん

編集あり2007/11/1316:50:17

現代っ子横綱と呼ばれ元々相撲界とそりが合わないということだったようです。

玉の海の死後、1971年11月場所から1973年1月場所まで、8場所にわたって一人横綱を務めた。最初の場所こそ優勝を果たしたがその後は緊張の糸が切れたような不振、1971年11月には九州場所で暴力団関係者からの祝儀を受けたことが発覚し協会からは戒告処分(事件そのものについても当時の文部省が警告文書を出した。)を受けるなど土俵外のトラブルが発生。3連覇がかかり優勝争いの本命とみられていた1972年1月場所、初日いきなり大関琴櫻との取組に敗れつまづくと、8日目関脇貴ノ花との取組は“つき手”か“かばい手”かで大きな話題となった極めて微妙な一番、貴ノ花に軍配を上げた立行司25代木村庄之助が差し違いとなり(勝負は北の富士の勝ち)、進退伺いを協会に提出し出場停止の処分を受けた(庄之助は翌3月場所前に廃業)。その後10日目まで4敗、12、13日目と連敗する乱調ぶりで14日目より慢性胃炎と高血圧低血圧症で休場(7勝7敗1休)。北の富士の思わぬ不振により、この場所は千秋楽まで4敗が3人、それを5敗の力士5人が追うという大混戦となった。加えて大麒麟、前の山の二大関がそれぞれ全休、途中休場、琴櫻と清國の大関同士の取組が14日目にあったため、千秋楽結びの一番に平幕力士が相撲を取る(清國と前頭5枚目栃東の取組)[1]という異例の事態となった。栃東が敗れれば10勝5敗の力士8人による優勝決定戦となるところであり、栃東が勝って初優勝したが11勝4敗の成績は15日制となった1939年5月場所以来最低であった[2][3]。

ついには同年5月場所中「不眠症」という前代未聞の理由で途中休場という事態も起こした。休場するためには医師の診断書が必要だが、不調とはいえ身体に悪いところはどこにも見当たらない。困った医師はそこで「夜は眠れるか?」と問われ、調子が上がらない悩みから北の富士は「最近寝付きが悪い」と否定したので、「ならば不眠症だな」と診断書を書いた、というエピソードが本人の口から語られている。続く7月場所を右手中指の脱臼で全休したが休場中にハワイへ旅行をしていたことが明るみに出て、協会から注意を受けた。北の富士は直ちに帰国し、場所後の夏巡業には参加した。

同年9月場所で3回目の全勝優勝を果たし復活をアピールしたが、一人横綱の8場所中で輪島・高見山が初優勝を果たし貴ノ花・輪島が同時に大関昇進するなど、角界の世代交代が進む結果となった。

こうした不振時のトラブルや後述のような土俵内外での言動から稽古嫌い、あるいはルーズな横綱と誤解されがちだが、実際には四股・股割りなどの基本は念入りに行っていたなど、決して稽古嫌いではなかったと識者が語っている。


親方として
1974年7月場所中に現役引退、年寄井筒(12代目)を襲名。引退披露興行では断髪後に白のタキシード姿で登場し一曲歌って会場・関係者を驚かせた。短期間に40kg近いダイエットを敢行し、ダイエット後のスリムな容姿ともどもこれまた周囲を驚かせた。

井筒部屋(現在の部屋と別系統)を興したが、1977年10月の元横綱千代の山没後に部屋合同の形で九重部屋を継ぎ、第61代横綱北勝海を育てた。また、師匠でもある先代から引き継いだ弟子千代の富士を大成させた。千代の富士とのやりとりは漫才の掛け合いのように軽妙で、しきたりの多い角界には珍しく映ったこともあり千代の富士が一気に横綱までの階段を駆け上がった際には記事の題材によく取り上げられていた。一方で前妻と離婚し不惑を超えてから元ホステスと再婚したり交友関係や北天佑の弟の素行不良に対する制裁を指揮していた疑惑をかけられるなどスキャンダルで紙面を賑わす事も多かった。

1992年には引退したばかりの陣幕親方(千代の富士)に九重部屋を譲って、年寄18代目陣幕に名跡交換[4] 、自身はその後八角部屋に移籍した。理事昇格後は長らく審判部長を務め元力士とは思えぬ美貌と場内説明時の饒舌さで土俵に華を添えたが実は審判委員時代に不祥事を起こし一度審判委員から降格されながらも審判部長に返り咲くという異例の人事であった。その後は新設された広報部長を務めた。

1998年に相撲協会理事選の候補からはずされたことで、協会を退職し、NHKの相撲解説を務めている。2002年に弟子である千代の富士、北勝海の2横綱を従えての還暦土俵入りは行なわれたが、既に相撲協会から退職していたため国技館が使えず、都内のホテルを借りての披露となった。

編集あり2007/11/1316:47:08

たしか理事長選のごたごたが原因です。

不祥事とは関係ないはず。(現役時代休場してたときハワイでサーフィン→朝青龍とは違いすぐに即帰国謝罪会見開く)

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