戦争末期、終戦直後にこんな言い方がありました。
「世の中は、
星に錨(いかり)に闇に顔、
ばか者だけが列に立つ」
星=陸軍
錨=海軍
闇=闇市場
顔=コネ
今の世の中でたっぷり食っているのは、陸軍や海軍の関係者、カネがあって闇市場で法外な値段の必需品を買える人、そしてコネがきいて裏口からものを融通してもられる人、、、そういう連中だけだ。ばか者=正直者だけが長い長い列を作って政府配給のわずかな貧しいものを買う、と。
>何故そこまで鬼になれるのでしょうか。
飢餓はもちろん、食糧不足すら知らない平和ボケ日本では想像も出来ないでしょうね。違法と知りながら米を闇(違法取引)で買う方もそれを取り締まる方も食い物については文字通り餓鬼、そうです、鬼になっていました。茶碗半分のご飯で大の大人が大ゲンカした時代でした。
街に住んでいる人たちがリュックを背負い、超満員の列車を乗りついで田舎へ「買い出し」に行き、着物や装飾品で米を買う(現金の価値が下がっていた)、農家の人たちは今まで「ドン百姓」とバカにされていたのが(バカにしなかった都会人もいたが)、状況が逆転して威張りまくる。
悔しいのを我慢してわずかな米を交換してまた超満員の列車を乗り継いで帰ってきたら警官に「おい、そのリュックの中身はなんだ?!」、と。ハラをすかせて待っている子供たちを思うと泣けてきた、、、こういうシーンが日本各地で見られました。
山口良忠という裁判官は、終戦後の食糧難の時代に闇で米を買う事を拒否し、政府配給の食糧だけで生活、栄養失調で死んだ事は有名な話です。
お米は貴重品でした。白い米への憧れは今では想像も出来ません。白い米? 米はみんな白いけど??と言うでしょうが、当時は雑穀が中心で、麦なんかまだいいほうだった。
白米(はくまい)、銀メシ、銀シャリ、、、銀色につやつやと輝くお米のご飯。
また、砂糖も徹底的に不足していて、甘いものに対する憧れも強かった。当時の子供に「何が食べたい?」と聞くと、「白いご飯に砂糖をかけたやつ」、と。
終戦後、アメリカの緊急食糧援助がなければ沢山の日本人が餓死していたでしょうね。こう書くと「アメリカは余剰農産物の捨て場所に困って日本へ持っていった」と言うバカが必ず出てきますよ(笑)
当時の政府・軍は、しなくてもよかった戦争、すれば必ず負けるに決まっていた戦争を始めて惨敗し、国民をこんな目に合わせました。
(買出しの人たちで超々満員の列車。終戦直後の千葉県で)