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投手分業制

suk********さん

2007/11/2111:22:52

投手分業制

いつごろから確立しましたか?

またきっかけは何かありましたか?
(大投手が故障したなど)

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2007/11/2123:48:11

かつてはリリーフで出てくる投手とは先発投手がくたびれた時にしょうがなく
出てくる人、といったイメージ、あるいはチームの大エースが'兼業'していたケースが
ほとんどでした。

日本プロ野球で分業制が一般的に認知された初めてのきっかけは、1965年に巨人が
宮田 征典(ゆきのり)投手をリリーフ専任として起用し、これが大成功したのがきっかけ
と思われます。
(成績は 登板69試合 20勝(リリーフで19勝)投球回数164回1/3 41セーブポイント)。

元々素質に恵まれながら 持病のため長いイニングを投げることが難しかった宮田投手を
当時の川上監督が救援専門で使った(使わざるを得なかった)ことが 結果として球界に
リリーフ専門投手の価値(=投手の分業制度)を球界に初めて認知させました。

一説には昭和30年代後半 中日で投手コーチをしていた近藤貞雄氏が 鳴り者入りで入団した
ものの腕を痛めて不振な成績が続いていた板東英二投手をリリーフ専門として再起させ、
同1965年は55試合登板 12勝7敗 防御率2.25という成績を残したことがきっかけとする説も
あります。

しかし宮田投手の活躍はテレビで全国放送されていたこと、その驚異的な成績、
「8時半の男」のキャッチコピーが有名になったこと、そして1965年の巨人は日本一
(宮田投手は日本シリーズでもリリーフで2勝)になったことなどから どうしても
ファンの目から見た第一号は宮田投手となってしまうようです。

日本プロ野球では1974年(MLBで1969年に制度が導入されてから5年後)に
セ・パ両リーグで最多セーブ投手公式記録して導入されたことから、この前後から
各チームとも分業制度が一般的になってきたと思われます。
そして1970年代後半に 江夏豊投手(南海)、山口高志投手(阪急)、鈴木孝政投手(中日)
など多数の投手がリリーフ専門として活躍したことで、全球団とも投手の分業制度を
当然の戦略として取り入れるようになりました。

質問した人からのコメント

2007/11/27 09:25:42

成功 ありがとうございます

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rod********さん

2007/11/2500:10:18

キャップ・アンソン選手が監督兼任選手時代に
ローテーション制を確立したのが始まりです。

きっかけはルール改正や試合数の増加により
1人の投手がほとんどの試合を投げることが
不可能になったためだと言われています。

yam********さん

2007/11/2115:39:21

スポーツ医学の先進国であるアメリカでは、1970年代前半から分業制を取り入れるチームが増えてきました。そして救援投手に与えられるセーブポイントも考案されました。きっかけは投手の肩・肘等にかかる負担の軽減、故障の防止ということが大きな理由だと思います。(酷使により故障等を招くと、細かい契約をしているメジャーの選手と球団の争いが激しくなってしまうことも一因かもしれません。)

日本のプロ野球では、中日で投手コーチ~監督をされた近藤貞雄さんがいち早く取り入れました。その後野村監督等色々な監督さんが選手の特性を見ながら取り入れることが多くなりました。ただ最初のうちは中継ぎ(セットアッパー)と呼ばれる役割を果たす投手は少なかったと思われます。

thp********さん

2007/11/2113:24:41

1960年代前半まで、投手は先発完投型である事が定着しており、
選手枠の拡大や、連投による酷使などで投手が故障するなど、様々な問題が生じたためです。

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