立花道雪、龍造寺隆信、島津家久が生きていれば

立花道雪、龍造寺隆信、島津家久が生きていれば 関ヶ原の戦いは西軍の勝ちでしたか?

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龍造寺隆信が島津に討たれていなければ、強気な覇者タイプの彼は秀吉の九州攻め前には豊臣政権に属そうとせず、滅ぼされる側になるでしょう。 つまり肥前鍋島の大名化も無かったことになり、豊臣系の大名の誰かが肥前を納めることになったと思います。 立花道雪は亡くなった時点で72歳。 関が原は15年後なので87歳。 とても戦場どころか上方に滞在していたかどうかも難しい年齢です。 たぶん柳川城で娘と共に隠居生活中でしょうから関が原には参戦しないと思われます。 島津は伊集院との御家騒動が終わったばかり。 史実では当主格であった義弘の要請にもかかわらず、もう一方の当主格であった義久は出兵を拒否。 結局は大阪にいたわずかな兵に脱走同然で自主的に義弘の元にやってきた兵だけで戦うハメになりました。 島津家久が生きていたとしても、おそらく義久に参加を差し止められてしたでしょう。 たまたま大坂にいたとしても家久とそのわずかな手勢が島津義弘軍に加わるだけなので大勢は変わりません。