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チトーは旧ユーゴスラビアの7ヶ国をどんな政策でまとめあげてたのでしょうか? ま...

ass********さん

2014/10/2121:30:17

チトーは旧ユーゴスラビアの7ヶ国をどんな政策でまとめあげてたのでしょうか?
また、チトーの政策に賛成していた地域、反発していた地域というのはあったのでしょうか?

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na_********さん

2014/10/2205:11:07

ユーゴスラビアという国は、南スラブ人の統一国家として誕生しました。
そもそもユーゴスラビアを構成していたほとんどの民族(アルバニア人やハンガリー人などは除く)は、南スラブ人として、共通した資質を持っていました。
・南スラブ人が、ドイツに1000年間支配されていたのがスロベニア
・南スラブ人が、ハンガリーに1000年間支配されていたのがクロアチア
・ハンガリー(カトリック)とセルビア(正教会)の中間地帯で、カトリックにも正教会にも属さず、両国から常に攻撃を受けており、トルコの勢力が伸びてきたとき、トルコに積極的に味方してイスラムに改宗したのがボスニア
・南スラブ人が、ビザンツ帝国の影響下で自立していたのがセルビア
・南スラブ人であるセルビア人が、300年間ハンガリーに支配されていたのがボイボディナ
・南スラブ人であるセルビア人が、トルコに支配されていたとき、トルコとベネチアの緩衝地帯として存在していたのがモンテネグロ
・セルビアとブルガリアが、とったり取られたりを繰り返していたのが、マケドニア

元々ひとつの民族であったため、共通点が多く、その共通点を強調することにより、国としての統一をはかっていました。
これは、チトーが、クロアチア人でありながら、セルビアの立場に立ち、第二次大戦での解放闘争を行い、ユーゴスラビアの開放が実現したことが、大きなカリスマ性となり、チトーの政策を助けたのでしょう。

チトー時代に、チトーの政策に反発していたのは、南スラブ人でない地域の住民、特にコソボ自治区のアルバニア系住民でした。

質問した人からのコメント

2014/10/26 02:22:19

一安心 むちゃくちゃややこしいですね・・
丁寧に説明して頂きありがとうございました!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

glo********さん

2014/10/2200:00:12

チトーはまず「ナチスに占領・分割されていたユーゴ再興の立役者」というカリスマをもって統治しました。
そしてチトーが国内問題で最も恐れていたのは、民族・宗教がモザイク状態であることから来る民族紛争であり、チトーはその萌芽が見られる都度、自らその地域に出向いて芽を摘むなど、精力的に民族対立の解消に取り組んでいたのです。
しかしそれはあくまでもチトー個人のカリスマに寄るものでしか無かった事は、チトーの死後、十年あまりでユーゴスラビアが崩壊した事実を見れば明らかでしょう。

チトーの時代には表面化はしませんでしたが、長らく西欧に属していたスロベニアやクロアチアでは不満があり、それがユーゴ崩壊時に真っ先に独立した理由でもありました、

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