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渡邉義浩氏の著書に「劉備の孔明への遺言は、陳寿の言うごとく交誼の顕れではなく...

rik********さん

2015/2/815:45:32

渡邉義浩氏の著書に「劉備の孔明への遺言は、陳寿の言うごとく交誼の顕れではなく、孔明の帝位簒奪を警戒し、ああいっておいて逆に釘を刺したのである」との主張が、ほぼ実際の史実として書かれてあったのですが、

三国志にお詳しい方、この主張を妥当なものと思われますでしょうか?

私は三国志については、演義と陳寿の正史の主な人物伝を読んだ程度しか知らないのですが、三国志の白眉ともいうべき箇所に関する著者のこの見方に、首を傾げざるを得ませんでした。

私が変に思った根拠ですが、簒奪を警戒していたなら、劉備の言行にそうした本音が少しは伝わっているのが自然だと思うのですが、それが全く無いこと。逆に、彼らの交友を示す逸話や、わが子にあてて「自分亡き後は承相を父と思うように」だとか、孔明を持ち上げ頼るように促しているものばかり残っています。そして何より劉禅は実際に孔明を熱く信頼し頼りっきりでした。

こうした点から、著者の言うように確かに名士を巡る部下の登用に意見の食い違いはあったでしょうが、「忠義の点で劉備は孔明をそれほどは信頼しておらず簒奪に釘を刺した」などと見るのは、何やら歴史ミステリー染みているというか、行き過ぎていると思うのです。

また、著者が実際の孔明を知っていた陳寿の記述を否定し「故国を思い両者の交誼を美化した」としていることにも納得がいきませんでした。魏が正統とする記述をしなければならない制約のなかで陳寿があれだけ故国の人物を称えられたのは、単純に本当のことだったからだと思うのですが…。

しかしいろいろ言っても私は三国志についてあまり詳しくないので、詳しい方の間で著者の見解がどう思われているのか、ぜひ聞いてみたいと思った次第です。どうかよろしくお願い致します。

補足皆さん、ご意見ありがとうございます。どうも氏の論は一部は、あまり評判よくないのがなんとなく分かりました。

どうも名士論で語りすぎる傾向があるようですね。よくあるであろう登用での意見の食い違いがあったという点ばかり見て、他の要素は返り見ずばっさり断ち切っているのですから。氏の論法だと、劉備が何を遺言していたところで、きっと必ず悪く解釈されるのだろうなといわざるをえません。

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ベストアンサーに選ばれた回答

漢晋春秋さん

2015/2/900:38:25

渡邉義浩氏は先の回答にもある通り、自説をさも真実であるかのように吹聴する(…と書くとはなはだ失礼な物言いではありますが)ような面がありますのでね。話半分に受け止めておくのがいいと思いますよ。
氏の名士論は非常に優れた考察で、これといって的確な反論も出来ないのが辛いところですが、そもそも名士という言葉は豪族社会(士太夫層)から出てきた清流派知識人たちが魏晋から南北朝への過渡期に貴族化・世襲化していく過程で生まれる言葉なので、この言葉を用いて三國時代を語ることそのものに無理があったりします(笑)。

まあ、それはさておき。
「私(主君)の死後、跡取りがダメなようなら君(宰相)が国を取れ」っていう遺言は、春秋戦国時代辺りに先例があったように思うのですがね。私は先秦史に詳しくないので、具体的にどの事例かお示しできないのが心苦しいのですが(^_^;
諸葛亮が前出師表で記した「三顧」も、殷の湯王が宰相の伊尹を招聘する際の故事にならって、劉備を湯王、自身を伊尹になぞらえたのではないか…とする回答も過去にありましたし、三國時代当時あるいは裴松之の時代などでは基礎知識レベルだった歴史知識が現代の我々には一見して伝わらず見落とされている…という可能性は大いに考慮する必要があると思います。

そういう点を考慮するならば、渡邉氏の解釈は成り立たなくなると言ってよいのではないかと思いますね。

質問した人からのコメント

2015/2/10 16:34:58

自分が全く持っていなかった視点から否定の根拠を提示して頂いたので、ベストアンサーとさせて頂きます。
他の方も、非常に懇切丁寧なご回答、本当にありがとうございました。皆さんの説得力ある回答に、胸のつかえが取れた思いです。

ベストアンサー以外の回答

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mot********さん

2015/2/915:07:29

渡邊氏の論は、名士ネットワークの考察、三国の政治経済の具体的な実像など、参考になる部分が、少なくないと思います。しかし、慎重に可能性の一つとして語るべきところまで、かなり強く断定的に語ってしまう、あまり良くないところも、あると思います。

他の方もおっしゃっていますが、劉備が、もし本当に警戒していたなら、制度を変えようとする動きを見せているなり、遺言にしても、孔明には普通に「劉禅を補佐してやってくれ」とはっきり言い、渡邊氏の説で孔明と競合しているという益州の名士に「孔明には気をつけろ」と言っておく、そうした通常の対応で釘を刺していたほうが、よっぽど有効だったと思います。
それなのに、なぜそういったことをせず、わざわざ、現に残っている遺言のような、回りくどい方法で、釘を刺したのか刺していないのか、分からない言い方をする必要があったのでしょう? 結果的に見ても、釘を刺すどころか、劉禅らの信任によって、孔明がやりやすいようになっています。
やはり、現実的に考えて、渡邊氏の論は、空想めいているところがあると思います。

kou********さん

2015/2/822:11:42

私もそれはうがち過ぎた考えだと思いますね。

まあ、劉備の言葉を額面どおり受け取っていいかはまた別かもですけど。

私は、劉備がこう言う事で、全権を託した丞相・諸葛亮を動きやすくしたんじゃなか、と思います。
この時期、諸葛亮より古参な人もまだいましたし、魏延のようにクセのある人もいました。
中には、諸葛亮のことを良く思わないような連中もいたかもしれません。
そういう人々の口を封じるのが目的だったんじゃないか、と思いますね。
実際、劉禅は諸葛亮を否定するような人を処罰してますし、劉備の遺言と劉禅の信頼が独裁者となった諸葛亮の大きな後ろ盾になったのだと思います。
それを意識して、諸葛亮も度々、先帝は・・・と劉備の事を持ち出したりしていたんじゃないか、とも思いますし。

おっしゃるように、本気で諸葛亮を警戒していたのなら、本人にしょうもない事をいうより、丞相制を廃止して三公制にするとか、諸葛亮の権限を抑えるように考えるはずです。まあ、それも国情からやれない、警戒しつつも諸葛亮の才能に頼らざるを得ない、なんてことかもしれませんが・・・、どっちにしても、そんな遺言になんの拘束力もないですしね。

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kai********さん

2015/2/818:53:02

私もあの人の三国志観は
ちょっと歪んでいるように思います。

>孔明の帝位簒奪を警戒し、
>ああいっておいて逆に釘を刺したのである

間もなく亡くなる人物が釘を刺したところで、
孔明に簒奪の野心があれば本当に実行しますよ。
実力も実権もあるんだから。
でも実際には自分の命を削ってまで
忠臣として動きましたよね。

本当に劉備が孔明の簒奪を警戒していたならば、
本人には何も言わず他の忠臣達に
孔明が簒奪に動く事を警戒するよう指示するなり
可能ならその対処法を伝えるなりした方が
遥かに効果的でしょう。
正史か演義のみかは忘れましたが
孔明が自分の死後に魏延が反乱を起こした際の
対処法を考え、予め密命や手紙を残しておいたように。

ちなみに私は劉備の遺言及び劉禅に宛てた手紙は
三国志指折りの名文だと思っています。

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2015/2/816:28:53

穿った見解ですよね。私も渡邊氏の著書は持ってますが、あくまで彼個人の主張に過ぎないと思いますよ。

この人は、自身の唱える名士論によって三国志の全てを解釈しようとする悪癖(?)があります。史料を突いて君主と名士の対立を見出したがるのも、その一環です。
参考文献に自分の著書ばかり列挙するような人ですから、彼の著書ばかり読んでいると考えが偏って洗脳されてしまいますよ。

一理あると思った部分だけ取り込んで、あとは読み流すくらいで良いと私は思います。

ただまあ、魏志や呉志と違って、蜀志は陳寿オリジナルのようなものですから、美化することは不可能ではないです。
諸葛亮を持ち上げることは、故国を持ち上げたい陳寿と、相対的に司馬懿も持ち上げたい晋の、利益が一致していますし。
晋にとっては、魏を美化される方が困る部分もありますし、制約も蜀志より魏志の方が多かったでしょう。特に魏における司馬氏の失態や凶行は多くが隠蔽されていることは、裴注で分かりますので。

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