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幕末・明治維新という激動期を経て、豊後日出2万5千石・木下家の分家である、5千石...

kyo********さん

2015/2/818:52:46

幕末・明治維新という激動期を経て、豊後日出2万5千石・木下家の分家である、5千石の木下家は、どうして「羽柴」姓に戻したのでしょうか?

『戦国の雄と末裔たち』 (中島繁雄著、平凡社新書) で、豊臣秀吉の縁戚の末裔である木下家について触れられています。

家定の三男延俊の系統であった。関ヶ原で延俊は東軍細川忠興と誼を通じてこれに従い、戦後豊後日出三万石城主となった。つぎの俊治のとき、弟延次に五千石を分知し二万五千五石となり、幕末まで存続した。
(中略) また、日出二代藩主俊治のとき五千石を分知された弟延次の末裔は明治四年の廃藩後、当時の当主俊清が、姓を祖先にちなみ「羽柴」と変えている。

とあります。

江戸時代に、徳川将軍から与えられた「松平姓」を称していた久松松平家や奥平松平家は、明治維新後に「久松」、「奥平」へと復姓していますが、それと等価の行為と考えるとちょっと腑に落ちないものがあります。

もともと木下家の祖先が、秀吉の正室・ねねの実家の「杉原家」。
「徳川幕府が滅んで、朝廷の世になったゆえに」安心して改姓・復姓するとしても、どうして「羽柴」だったのでしょう?

大名家として残った2つの木下家は、「苗字は木下」を称していても、「氏は豊臣」を称していたのですよね?
そうすると、木下延次の末裔である5千石の木下家も同様であると推測されます。

それなのに、「羽柴の苗字は徳川幕府を憚って使用できなかった」というのもちょっと納得がいきません。

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shi********さん

2015/2/821:49:30

先祖の家定は羽柴です。子孫が姓を選ぶとき羽柴を選んだにすぎません。

家定は、先妻の子で杉原の血筋ではありません。長男もそうです。朝日殿のめいと再婚し、次男以下を設けました。したがってそのゆかりである、杉原や木下でなく、秀吉に貰った羽柴を名乗ったと思います。

実のところ、北の政所の父親は素性不明、いつ死んだかも分からない謎の人物、名前すら定かでないのです。

普通、北の政所を杉原氏としていますがいくら調べても元の苗字は不明です。家定がはじめてわがものにした苗字が羽柴であったようです。

質問した人からのコメント

2015/2/9 20:29:19

驚く >普通、北の政所を杉原氏としていますがいくら調べても元の苗字は不明です。
>家定がはじめてわがものにした苗字が羽柴であったようです。

おねの養家はそれなりの土豪、実家もまたそれなりの土豪クラスだと思っていました。

家定が初めて得た苗字が「羽柴」であったとは、驚きです。

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dai********さん

2015/2/820:06:04

>それなのに、「羽柴の苗字は徳川幕府を憚って使用できなかった」というのもちょっと納得がいきません。

徳川時代になってそれまで公文書に「羽柴」と書いてた多くの大名が、「松平」に変更したのも納得行かないのでしょうか。

婿養子ならともかく、普通称するの夫側の姓でしょ。

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