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明智光秀は本能寺の変で主君織田信長を討ち、明智氏自身も天下統一の夢を叶えられ...

kei********さん

2015/3/317:40:47

明智光秀は本能寺の変で主君織田信長を討ち、明智氏自身も天下統一の夢を叶えられませんでしたが、織田信長は普段年上の明智光秀に対し乱暴なふるまいを行っていたと聞いたことがあるのですが、

織田信長はそれでも明智光秀のことを信頼しており、本能寺の変を起こすとはまさか考えていなかったというのは正しいのですか?

それとも、普段から人間関係でいざこざがあり、いつかは自分を裏切りのではないかという考えは織田信長自身あったと思いますか?

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ben********さん

2015/3/317:52:53

細川家・永青文庫「信長からの手紙」展を見にいってきました。
無類の手紙好きの忠興(現存だけで4000通)の元には、たくさんのお返事が来ていました。
ほとんどが、祐筆に書かせたものでしたが、明智光秀という者をとても信頼しているという手紙もありました。
「光秀に、酷くあたってしまった。
フォローよろ」
光秀の親友、幽斉あて・・・も、ありました。

全くの無警戒であったと思います。

自分が表に出すタイプなので、ためこむタチの光秀の理解が、及ばなかったのでしょう。

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apk********さん

2015/3/815:38:43

四国の長曽我部を攻める直前だったらしいです。
そう、足利派閥なのです。

明智は足利側で幕府の権力を戻すために織田に仕官し、織田を利用して足利家を再構するつもりだったわけ。

明智の目論みは

織田信長を暗殺した後に長曽我部、毛利を抱き込んで足利の後取りを京都に戻し、その勢力を使って東国の守護大名や上杉、北条あたりに協力を要請して足利幕府をやり直そうとしたわけです。そして重臣として摂関政治。

それをいち早く見抜いていたのか、羽柴は毛利を和睦させ、足の利を世間に見せながらとって返したわけ。逆に言えば、豊臣、徳川など全部危なかったわけ。

長曽我部、毛利、京都の明智、上杉、北条に足利の名前で和睦されてしまうとかなり囲まれてしまうからです。

tom********さん

2015/3/322:20:37

本能寺の変の当時、光秀の領地は信長の本拠・安土と京都周辺の南近江と丹波で30万石。
自分の領地の周りにこれだけ多くの領地を与えたということは、信長がもっとも信頼したボディー・ガードみたいなものです。
似たような例では大阪を本拠とした豊臣秀吉がもっとも信頼していた弟・秀長に大和・紀伊に100万石を与えた例があるくらいです(30万石と100万石とはいっても、当時の信長と天下統一した秀吉では持っている領地の大きさが違います)。
徳川幕府では江戸周辺にこんな大きな領地を与えた家臣はいません。

それだけ信長は光秀を信頼していたでしょうし、逆に言えばこれだけ信用を得て信長の地元で大きな領地=大きな兵力を持っていたから、容易に信長の「寝首をかくこと」ができたわけです。
もっと遠方に領地だったら、謀反もできなかったでしょうにね。

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