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かぐや姫はとても美しい物語です。 かぐや姫は月の都でも姫だったのではないでし...

tun********さん

2015/3/2317:25:40

かぐや姫はとても美しい物語です。
かぐや姫は月の都でも姫だったのではないでしょうか。

作品中で、高貴な姫に育て上げられているとき、何もかもはじめたばかりなのに完璧にこなすということを言っていましたから。
月の都で育った姫は、見てしまったのです。
地上から月の都に帰ってきた人の中に歌を歌いながら涙を流している人に。
月の羽衣を纏うと地上の記憶はすべてなくしてしまうというのに、涙をながしていた。
月の都では喜怒哀楽の喜楽しかないので、はじめて見たのでしょう。そして、地上に憧れてしまうことによって、地上に降ろされた。
そして、降ろされた場所が他ではなく、あそこの村だったのも、月の都で見た泣いている人が昔にいた場所だと思います。たぶん生前。
だから、他ならぬ地球のあの村という意味で、なぜ地球を選んだのかという意味だと思います。
そして、愛別離苦でもなく、かぐや姫は、生きているという実感さえあればと言っていました。
喜楽しかない月の都では、もちろん喜楽を感じていました。ですが、泣いている人を見たのが初めてだったのでしょう。哀の感情に興味を持ってからの、地上に憧れたのだと思います。
そして罰として地上に降ろされた。しかし、姫の想像以上にすばらしい世界だったんじゃないかな。でも、姫の名づけを祝うシーンであったり、帝のシーンであったり、いやなこともあって、この場所にいたくないと一瞬でも強く願ってしまったのです。
そして、月の都の人たちが迎えにくるといったのです。
でも、一瞬でもここにいたくないと願ったとはいえ、喜怒哀楽を知った姫は、15日が近づくにつれ、さらに帰りたくなくなるのです。
それは、捨丸兄ちゃんとのことです。
喜怒哀楽だけではなく、愛も知ろうとしていたのに、連れて行かれることになって、もう少しだけとはそういう意味だったのではないかなと思います。
たぶん新聞のサブタイトルだからそんな感じなのでしょう。
本当のサブタイトルはかぐや姫の犯した罪と罰ですから…
かぐや姫は死ぬとかないんじゃないかな。
月の都の姫だし。
想像で言うと、愛を体験した後、かぐや姫は死ぬことも体験したかったんじゃないかな。
まぁ、人間と同じようにいきたかったと思う。
今の人たちは、生きているのが普通だからね。生きることってすばらしいという意味をこめてこの作品ができあがったし、見ている人に伝えたかったんじゃないかな。

補足質問者さんのやつに回答したかったのですが、文字数がはいりきらなかったので、このような形になってしまいました。
最近金曜ロードショーで放送されていたかぐや姫を見ていくうちに、朝倉あきさんの声と物語の深さにどんどん引き込まれてしまいました。
意見を出し合うのは好きなので、ほかの方々の意見も聞いてみたいです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

ghh********さん

2015/3/2321:01:17

知恵ノート読みました。
質問者さんとは多少違いますが、映画の意図は何かというのは主観的で人それぞれという事になると思うので、あくまで一私見として書いてます。


かぐや姫の台詞の抜粋です。
「月へ帰らなければならなくなった今、ようやく思い出したのです。私が何故、何の為にこの地に降り立ったのか」
「私は生きる為に生まれてきたのに、鳥や獣のように」
「なぜ私が禁断のこの地に憧れ(罪)、その罰としてほかならぬこの地に下ろされたのかも」

これらの台詞から、かぐや姫は罰として地球に下ろされたのに、憧れの地球という事から「鳥や獣のように生きる」という目的を持って喜んで来たと読めます。
「鳥や獣のように生きる」とは豊かな自然の中で生きる事、それを生の謳歌と捉えています。


かぐや姫を迎えに来た天人がかぐや姫に羽衣を着せるとき、「清らかな月の都へお戻りになれば、そのように心ざわめく事もなく、この地の穢れも拭い去れましょう」と言うと、かぐや姫は「穢れてなんかいないわ。喜びも悲しみもこの地に生きるものは、みんな彩に満ちて鳥・虫・獣・草木花、人の情けを…」とそれを否定しています。(わらべ唄の歌詞「鳥虫獣草木花 春夏秋冬連れてこい 咲いて実って散ったとて 生まれて育って死んだとて」・天女の歌の歌詞「鳥虫けもの草木花 人の情けを育みて」と出てくる)

最後記憶を失ったはずのかぐや姫が地球を振り返り涙したのは、穢れていると言う地球には、四季によって変化する厳しくても(四季の変化や食物連鎖の食う食われる)豊かな自然があり、人は煩悩(後述補足1)から脱していなくても温かな情がある(人を愛し人から愛される愛情を含め)、その喜びも悲しみも含めて謳歌した生(かぐや姫が「そうよ(たとえ酷い目にあっても)何でもないわ、生きている手応えがあれば。きっと幸せになれた」と言っている)への惜別の涙で、それだけ地球での生が貴重なものだったのでしょう。

かぐや姫の「何でもないわ、生きている手応えがあれば。きっと幸せになれた」という言葉は、かぐや姫がもう地球にはいたくない(諦め)と思わずそれを生きている手応え(後述補足2)としていれば幸せになる道(謳歌できる生)はあったと言っているように聞こえます。
これは長い不況で沈滞する現代人に、生きるって楽しい事・辛い事いろいろあるけどそれを生きている手応えとして諦めなければ謳歌できる生は見つかるとの励ましかもしれません。
また目線を変えれば『かぐや姫の物語』の言う豊かな自然や人の温かな情に変化はあっても現在も存在しています。
気付いていなかったものに良さを見出せれば謳歌できる生が見つけられるんじゃないかと言っているのかもしれません。
日本最古の物語の『竹取物語』の内容をほぼ変えずに『かぐや姫の物語』として作ったのも普遍性を意識したんじゃないかと考えています。



補足1
かぐや姫を迎えに来た天人は仏の姿で宗教がかり心の乱れのない穏やかな様子でした。
天人とは、仏教で言う心身を乱し悩ませ知恵を妨げる心の働き(穢れ)である煩悩(欲望)から脱し悟りの境地に達した(涅槃)人々で、月の都は天界(極楽)、地球の穢れとは煩悩が象徴していると捉えられそうです。
その煩悩は、かぐや姫の幸せの為とはいえ翁がみせた出世欲、会った事もないかぐや姫に求婚する5人の公達や御門の色欲や嘘として画かれていました。


補足2
生きている手応えとは、
人生(生きる)って楽しいばかりじゃそれが楽しいと分からなくなる。
辛いことばかりという事もない。
楽しい事もあれば辛い事もある。
辛い事があるから楽しい事が心から楽しいと思える。
辛い事・楽しい事その両方あるのが生きている手応え。(かぐや姫の喜びも悲しみもという言葉)
だから人生(生きる)って面白い。
というような事だと解釈しています。

  • 質問者

    tun********さん

    2015/3/2500:48:34

    回答ありがとうございます。
    とても参考になる意見で、ほかの方々の意見を見るのは楽しいです。
    回答者さんと考え方が同じといっていいくらいです。
    私は説明が下手なので、わかりにくいと思いますが…。
    知恵ノートの人は、考え方は同じ方向を向いていますけど、視点が違うと思うのです。
    知恵ノートの人が考えていた自然とか死ぬとかよりも、生きるそのものについて語っていると思います。喜怒哀楽を持ち、時にはわからない感情、木や草やけものに、実際に触れて実際に感じるみたいなことだと…。
    回答者さんは自分の意見をまとめるのが上手でうらやましいです…。

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ベストアンサー以外の回答

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vai********さん

2015/3/2317:47:58

違うよ~

月でエッチ娘だったので
罰として地球に島流しになったんだよ~

VAIBS

違うよ~

月でエッチ娘だったので
罰として地球に島流しになったんだよ~

VAIBS

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