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妙荘厳王本事品第二十七についての質問です。 正直、内容が平板で、つまらなく感...

hoh********さん

2015/4/1812:56:21

妙荘厳王本事品第二十七についての質問です。
正直、内容が平板で、つまらなく感じました。 要約すると、二人の息子が雲雷音宿王華智如来の教えを受け、神通力を持つ三昧の奥義に精通している菩薩であり、母を誘います。しかし母は、父王がバラモンを信じている邪見の家であるから難しいと言います。そこで、神通力によって奇蹟を見せ、これを観た父王は出家し目覚めます。如来は、この父王を妙荘厳王如来になると授記し、息子の一人が薬王菩薩であると明かします。という話ですね。
質問です。
①どんな意味があるのでしょう?親が邪教に染まっていても、奇蹟を見せれば破折できる、ということですか?
②薬上菩薩(バイシャジヤ・サムドガタ)って、薬王菩薩のように有名な菩薩ですか?誰ですか?

補足化身、応身、使いなど、また解釈の難しい言葉が出てきましたね。法身・報身・応身なら一応は知っていますが、化身は三十三身への化身でしか知らないですね。
転輪聖王は、丁度引っかかっていたところです。ずっと前から登場していたのに、理解が足りませんでした。いえ、今でも足りないですよ、勿論。

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JoJonさん

2015/4/2011:53:25

こんにちは。

『妙荘厳王本事品第二十七』のテーマは善知識です。善知識というと日本では僧侶のことをいうことが多いようですが、もとはカルヤーナ・ミトラ "kalyāṇa-mitra" なので「善き友」「美しき友人」などの意味です。なので、僧侶に限定するのではありません。

仏教では、善悪の基準を仏道を進んでいるかどうかで観ます。仏道を進んでいれば善で、外れていれば悪です。よって善知識というのは、仏道に導く者のことです。新興宗教などでは、自分の教団に新しく人を勧誘する人を「善知識」とか「菩薩」などと呼ぶ傾向がありますが、勧誘と善道に導くということは同じことではありません。新興宗教の中には、幹部が成仏の意味すらも知らない教団もあります。

『妙荘厳王本事品第二十七』は、妙荘厳王の息子の浄蔵・浄眼が善知識となり、妙荘厳王を仏道に導く物語です。この物語を通して、善知識というものがどういうものかを思惟させる内容になっています。


①どんな意味があるのでしょう? 親が邪教に染まっていても、奇蹟を見せれば破折できる、ということですか?

妙荘厳王とは、もともとバラモン教の信者でした。なので、これまでの法華経には登場しないパターンです。これまで、法華経はすでに仏教に帰依している者に対して説かれましたが、この『妙荘厳王本事品第二十七』は、仏教に帰依する以前からの関わりが示されています。他教の信者を導く事例が説かれています。

父王を導く時、2人の息子は言葉ではなく行動で自分たちの帰依する仏教とはどのようなものかを示しました。いつも一緒にいる家族であれば、言葉は通用しません。口だけで偉そうなことを言っても、挨拶もせず、部屋は散らかしっぱなしで掃除もせず、坐っていた椅子も納めないのであれば、誰も興味を持ちません。諸々の善を為し、悪を為さず、浄行に励むことにより、輝く存在となって他に影響をします。

「是の如き等の種々の神変を現じて、その父の王をして心浄く信解せしむ」とありますから、2人の息子の行為は尊く浄い内容だったのでしょう。仏教では、時間をきちんと示すことが少ないので分かりにくいのですが、その行為が短時間だったのか、数年にわたるものかは不明です。

このことがきっかけとなり、妙荘厳王は出家し、後に成仏します。まさしく、浄蔵・浄眼が妙荘厳王の善知識となりました。ただし、ここできちんと読む必要があるのは、浄蔵・浄眼は如来の使いだということです。

観世音菩薩は、無尽意菩薩から受けた供養の品の宝珠を二つに割って、釈迦如来と多宝如来に捧げました。これは、観世音菩薩は、化身であり、その智慧と慈悲の本体は如来にあるということです。如来の使いとして、観世音菩薩は広く世間を観て、困厄を被っているものへと手を差し伸べました。つまり、真理が事物・現象となって、一切衆生を導くことを如来と菩薩の関係で表わしています。

浄蔵・浄眼は、如来の使いであり応身です。理解しにくいかもしれませんが、妙荘厳王を仏道に導く計画は浄蔵・浄眼が世に誕生した時から始まっています。2人が王の息子として生まれ、やがて善知識となったのは偶然ではなく、本仏の計らいです。

このことは、決して物語ではなく、私たち一人一人に関わっています。自分の子どもが如来の使いかも知れないし、友人が観世音菩薩かも知れません。もっと言えば、自分自身が観世音菩薩なのかも知れません。

法華経では、最初は言葉で説かれた教えを方便と呼び、次に事物・現象を方便といい、最終的には、それらの方便(事物・現象)が善知識であると結んでいます。すべては、個々を成仏へと導く縁だということです。ただし、この結びも初段階であって、次のステージが待っています。


②薬上菩薩(バイシャジヤ・サムドガタ)って、薬王菩薩のように有名な菩薩ですか?誰ですか?

薬王菩薩の兄弟です。仏像では、薬王・薬上菩薩は、釈迦如来の脇侍として配されることもあります。


この『妙荘厳王本事品第二十七』を読んで想うのは、韋提希(いだいけ)の子阿闍世(あじゃせ)王の存在です。阿闍世王は、当時のインドで最大ともいわれるマガダ国の王です。この霊鷲山での説法の席には、王といえば阿闍世王だけですから、物語としては阿闍世王に聞かせる内容なのかも知れません。

古代インドには、転輪聖王という思想があります。武力ではなく法によって政治をする王のことで、理想の王だとされました。釈尊の滅後には、アショーカ王という転輪聖王に近い王が登場しますが、仏陀はそのような存在を求めていたのでしょう。

もちろん、転輪聖王というのも一つの譬えであって、私たちも家庭において、職場において、グループにおいて、リーダーやヘッドの位置にあるならば、仏法によって事を為せということでしょう。


合掌

質問した人からのコメント

2015/4/24 21:17:15

降参 「善知識」は勉強になりました。良い言葉なので、早速使わせて頂いています。
しかし、ここからが大変です。解説がチンプンカンプンだし、開・結経も難しそう。ちょっと知識が着いたといい気になって、師匠→善知識に議論を挑もうと思うと、相手の気分を害してしまう。学問と違って、言葉の意味も宗派や個人で解釈が異なる可能性があり、誤解しやすいようです。
穏やかであらねば。

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