ここから本文です

イギリス王室では、 初代国王・ウィリアム1世から始まって、 現在のエリザベス...

san********さん

2015/5/517:02:26

イギリス王室では、
初代国王・ウィリアム1世から始まって、
現在のエリザベス2世までで何代目続いておりますか?

閲覧数:
544
回答数:
4

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

bir********さん

2015/5/519:42:50

今の英国王室の系譜はハノーヴァー朝といい
ハノーヴァーから迎えた人が王になった
のが開祖らしいと聴いたような。

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜3件/3件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

cel********さん

2015/5/913:10:07

「イギリス王室」の定義は後に回して、ウィリアム1世から英王室公式サイト(↓)で数えると…

http://www.royal.gov.uk/HistoryoftheMonarchy/KingsandQueensofEnglan...

ノルマン朝 5人(マティルダを含む)
アンジュー朝 3人
プランタジネット朝 5人
ランカスター朝 3人
ヨーク朝 3人(エドワード5世を含む)
チューダー朝 6人(レディ・ジェーン・グレイを含む)
スチュワート朝 7人(ウィリアム3世を含む)
ハノーバー朝 6人
サクス・コバーグ・ゴータ朝 1人
ウインザー朝 4人

合計43人
よって、エリザベス2世は43代目です。

ただ、

・マティルダは、父のヘンリー1世から後継に指名されたものの、ウィリアム1世の孫のスティーブンとの内戦になり、イングランド全体を支配下に置いた期間はごく短く、除外される事が多い

・レディ・ジェーン・グレイは、傀儡として擁立されたが9日間で逮捕(後に処刑)された為、女王とカウントしない事もある

…など、数え方によって違いはあります。

ところで、「イギリス王室」のイギリスが、日本での一般的な意味であるUnited Kingdomであれば、イングランドとスコットランドが同君連合になった(未だ別の国)スチュワート朝より前は明らかにそう呼べず、そこで区切ればエリザベス2世は18代目です。

スコットランドとイングランドが国家組織上も同じ国になったスチュワート朝の最後のアン女王の時から数えれば、エリザベス2世は12代目です。

一方、「イギリス王室」を「イングランド王室」と考えた場合は、「いつイングランドが出来たのか」という事が問題になりますが、イングランドが一つの国にまとまったのは漸進的な過程を通じての事なので、そもそも「どの王の時にイングランドが出来た」と明確に言えるような性格の話ではありません。

その過程をかなり大雑把にまとめれば、

「ウェセックス王」というイングランドの一部の王ではなく「イングランド人の王」という概念は、アルフレッド大王(治世は9世紀後半)の頃には存在した。但し、この頃のイングランド北東部はデーン人の支配領域。

ウェセックス王を(一応は)イングランド全体の「支配者」と言えるのはアゼルスタン(治世は10世紀前半)の時

といった感じです。

ひょっとしたら、"エグバート(治世は9世紀初め)の時にイングランドが統一された"と書いている古い本やそれを元にしたWebサイトがあるのかも知れませんが、現在では、真面目な歴史の話としては、問題になりません。

ネットで見られるコロンビア百科事典(英語)のエグバート(Egbert)の項目にも、「Later historians called him the first king of England, an anachronistic title, for there was no conception of a kingdom of England in his day. 」(後の歴史家が彼=エグバートをイングランドの最初の王と呼ぶのは、時代錯誤的称号である)とあります。(全文は↓)
http://www.infoplease.com/encyclopedia/people/egbert.htm

尚、エグバートの時点では、エグバートが王だったウェセックス王国以外の王国があり、エグバートはそれらの王に対して優位にあった、つまりイングランドの中の複数の王の中の最有力者に過ぎません。

このように"イングランドという国がいつできたか"というのは、そもそもはっきりさせる事が難しいのですが、それでも、ウィリアム1世が初代イングランド国王というのだけはないです。ウィリアム1世のイングランド征服の前に、既にイングランド王国が存在していた、というのは全く否定しようがないからです。

コトバンク(↓)で、ウィリアム1世をひいて出て来る説明を引用します。
https://kotobank.jp/

百科事典マイペディア

ノルマン朝初代のイングランド王(在位1066年―1087年)。〈征服王the Conqueror〉とも称される。(以下略)

世界大百科事典 第2版

ノルマン朝初代のイングランド王。在位1066‐87年。〈征服王the Conqueror〉とも称される。ノルマンディー公ロベールの庶子で,1035年父をついで公となる。66年イングランドのエドワード懺悔王が死に,その義弟ハロルド2世が王を称すると,ウィリアムは懺悔王の遠縁に当たることなどを理由に侵入,ヘースティングズの戦でハロルドを破ってイングランド王となった。(以下略)

ノルマン朝初代としか書いてありませんよね。もし彼がイングランド初代の王だったら、それ以前の(例えば)イングランド全体を一つの国として支配していたエドワード懺悔王は何?、って事になってしまいます。

もし、ウィリアム1世を初代イングランド王と呼んでいるWebサイトなどをご覧になられたのなら、それは「ウィリアム1世から始まった"血筋を根拠とした王位継承"が途切れず続いている」(ウィリアム1世は血筋ではなく征服で王になった)事を、初代イングランド王と誤解したのでしょうから無視された方がいいです。
漢の高祖=劉邦を中国の初代皇帝と呼ぶのと本質的には変わらず、"説"と呼べる程のものではないです。

fio********さん

2015/5/517:55:10

イギリス王室は、ウィリアムの征服の後にも何度も家系が代わっています。

ノルマン家は男子がおらず、フランスのプランタジュネ家から婿を迎え、英仏にまたがる家領を得ました。
その後、傍系同士のランカスター家とヨーク家の薔薇戦争があり、和解してチューダー朝となりますが、処女王エリザベスでこれも終わり、スコットランドからスチュアート家のジェームズ王を迎えて同君連合国となります。

クロムウェルの共和制の後、復興したスチュアート朝は議会をないがしろにしたため、つぎはオランダのオランイェ公ウィリアムとそこへ嫁いだメアリを呼び戻して王位を継がせますが、その後のアンでスチュアート家も断絶します。

しかしイギリス王位は空けられないので、ドイツの小国ハノーヴァー王を呼ぶことになります。(この時からドイツ名ゲオルク=ジョージが王の名に加わりました。)
その後も、ヴィクトリア女王があり、エリザべス女王があり、家系としては入れ替わったことになりますね。

それを全部足すと、1066年ウィリアム1世からエリザベス2世の現在まで949年間40代です。

プロフィール画像

カテゴリマスター

na_********さん

2015/5/517:10:53

イギリス王家において、誰を初代国王とするかは定まっていません。
ウイリアム1世を初代とする説のほかに、エグバートを初代とする説や、チェルディッチまで遡る説があります。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる